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安岡正篤『「人間」としての生き方』から学ぶ 生き方の原理原則7

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「師とは?」「道徳とは?」「夫婦とは?(まだ結婚していませんが…!笑)」そんな根本的な存在の定義を指南してくれる一冊でした。7つの生き方の原理原則を抜き出します。


三つのライフステージ
1)志尚ー早年の倫理

2)敬義ー中年の倫理

3)立命ー晩年の倫理


師は、我に先立って人世のの大変な苦労と闘い、人生の深い道理を探り、優れた人の魂の高い峰を登り尽くしつつある人である。

友は、自分と前後して真剣にその後に続いている者である。


そもそも造化(天地万物を創造し育てる神霊・造物主・宇宙や自然の根本にある霊力)には、そのうちに限りない分化発現の力(漠然としたものを細かく分けて明確なものに実現する力)(陽)と、これに対応する統一潜蔵の力(分化したものに再び新しい生命を与えて統一し、奥深く内に収める力)(陰)とが働いている

男性 分化
女性 統一


日本国民は、万世一系の皇統を有している。それは国家の道義的確立という至貴至尊の価値を物語っている。


何のために学ぶのか。(知識才能を啓発するため:否 功名や富貴のため:否)
ふたたび純真な自我は答える。何のためでもない。学ばなければならないから学ぶのだ。学ばずにはいられないから学ぶのだ。この我れ、造化の明徳が、いやが上にも光明に、雄々しく偉大に、崇高にならなければならないのは絶対的な命だ。我はこのような命(天明)を本分(性)とするものだ。この本文に率うのが道、この道を開拓するのが学問の根本となる重要な意義だと。

・・・すなわち学問の第一義はいうまでもなく道心の長養でなくてはならない。道徳の発揮でなければならない。平たく言えば純真な自己に生きようとするのが学問の第一歩なのである。


夫婦は二人で協力して家という道に参加する人格的結合であるにもかかわらず、要するに享楽的な共同生活に堕落してしまって、互いに他を自分の情欲の対象とするところから、どんなにそのはじめが熱烈であった恋仲でも必然、生物学的法則によって緊張に次ぐ気の緩み、興奮に代わる倦怠(飽きて嫌になること)を催すということにならざるを得ない

夫婦生活はこんなに軽はずみなものではない。あくまでも喜んで心の底から理想を願い求める深刻な努力でなければならない。

→高い意識を持つ、気持ちの高ぶりに流されず、敬意と緊張感を忘れない


道徳の道徳たる所以は、あくまでも自律的自我の確立に在るものである