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0628

6月28日に22歳になった。日曜日。
22年前の6月28日も日曜だったらしい。その時は今年と違ってよく晴れた日だったらしい。私の出生地は海外だったので、その場所の時間で言うと真昼だった。

私は日曜日の初夏、真昼間に生まれた。


誰にも会わない、けれど穏やかな一日だった。
前回のnoteで散々苦しんでいたことは、27日に大体の目処がついた。本当に苦しかった、周りの全てが憎かったけれど、穏やかな気持ちで誕生日を迎えられたのは救いだ。良かった。

ようやく手をつけられたゲームをして、あとあつ森の島にも久しぶりに顔を出して祝ってもらった。

このね…緑のアヒルの子はマモルくんと言うんだけど、この島の最古参で私の最推しの子が家に招いてパーティー開いてくれた事実に大歓喜してしまいましたね……

ちなみにやさおも私と誕生日が一緒だった。キザで芸術気質なヤギの男の子。芸術という点では似てるかもしれない。私も一応美大生だし。

みんな正装してスキップしながら祝ってくれたの可愛くてみんなまとめて幸せにしたる……と思った。愛。


誰とも会えない誕生日は初めてだったかもしれない。だけど、そんなに寂しくなかった。電話してきてくれた子もいたし、なんかギフトカードくれた子もいたし、なんだかんだ沢山のメッセージをもらった。ありがたい。

いくつになっても誕生日は好きだな。歳は取りたくないけど、一年に一度の自分が主役の日はあると嬉しい。



22歳になったとはいえ、私は21の頃と何も変わらないし、なんなら16.7歳の頃とそんなに大差はない。思春期の私が考えてた20代ってもう少し大人だと思っていた。全然そんなことは無い。

コーヒーは砂糖とミルクを入れないと飲めないし(カフェインが苦手なのもある)、お酒はアルコール度数3%を一缶飲めば満足。煙草は吸ってみたけど似合わないと笑われたので2週間で辞めた。

大人になってから恋人はできたし、所謂恋人同士でするような事は大体経験したけれど、でもなんにも特別な事じゃなかった。


もう子供とは言えない年齢になったけど、まだまだ青臭い感じがする。でも10代の頃の無邪気さとか世の中を見つめる純粋な目は曇りだしたかもしれない。

喧騒の煩わしさ、人間の腹の底の黒いところ、反吐が出るような報道と社会。人は生きていくために強かさを覚えていく。そういうものを「あんな風にはなりたくない」と侮蔑の目で見ることもある。そんな目を、自分自身が向けられることもある。

大人とは振る舞い方と環境によってはとても楽しいと思う。出来ることが増えるし自由になるから。でもその分社会のルールにがんじがらめになったりもする。矛盾をはらんだ生き物だね。でもそういう歳になったのだ、私は。


な〜〜んて小難しいこと考えたりするけれど、何だかんだこの歳になって新たに発見することって「目玉焼きと醤油の相性はいい」とかそういう些細なことだったりする。

小難しく考えたりくだらないことを考えたりして、死ぬほど苦しい思いをしたり飛び上がるほど嬉しいことを経験したりしながら、フラフラと迷いながら歳を重ねていきたいよ。


誕生日を迎えて直ぐにTaylor Swiftの22をかけた。
なんかの通過儀礼みたいに。

どうせすぐに23になる。きっと三十路なんてあっという間。でも今年もしぶとく生きていこうと思う。
簡単にはくたばらないよ、まだやる事あるからね。

こんにちは22歳。
今年もどうぞよろしく、折り合いつけて生きましょう。

#エッセイ #日記 #誕生日 #22

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