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『幽霊報道2』(2022)

わたしはいったいなにを観せられているのか。
この言葉がどのような機能をもつかはその言葉が発せられた状況次第だけれど、まずは2つのパターンに大別できると思う。誰かになにかを強制的に観せられたときと、自分からなにかを能動的に観たときだ。言葉を字義どおりに受けとる限りは前者の場合に発するのが適切な言葉だといえるけれども、人間は当然発した言葉の意味を届けるためだけに言葉を使うわけではないため、後者の場合が存在しうる。いわゆる言語行為論的な話。

ウンノヨウジ監督の『幽霊報道2』(2022)を観たときにわたしは上記のような言葉を発したが、それは後者の意味においてだった。1作目である『幽霊報道』(2021)を観たときにも同じような感想は抱いたのだけれども、今作ではつい明確に声に出して言ってしまった。なぜなら、本作は心霊ドキュメンタリーというジャンルに属する作品でありながら、そのジャンルに多くの人が期待していると思われる恐怖と少しのユーモアのうち、前者の、恐怖がぐわっとこちらに飛びかかってくるような勢いがきわめて弱かったからだ。これは、本作が怖いかどうかという話とはもちろん関係ない。怖いかどうかを決めるのは観ている人1それぞれ(当たり前)。わたしがいま書いているのは、本作が、観ている人の心に恐怖を芽生えさせようとするための仕掛けをどれだけ用意しているかという問題だ。

映像には基本的にディレクターのウンノヨウジの手持ちカメラがとらえたものが映される。そこに映るのは、たとえば以下のようなものだ。

●ウンノよりも半歩か1歩分早く廃村を歩くアシスタントの嶺生まやの姿(画面専有面積あるいは画面専有時間が廃村それ自体よりも多い可能性がある)。
●ありがた山で怪奇現象が起き、嶺生よりもいち早く逃げ出すウンノのあとに続き必死になって逃げる嶺生の姿(ウンノは逃げているときもわざわざカメラを後ろに向けていたことになる。サザエさんが後ろ歩きでホイッスルを吹きながら家族を率いるように、ウンノはカメラを嶺生に向けながら後ろ向きで走っていたのだろうか)。
●正体不明の女子高生にいちごパフェ2つを奢らされ、その女子高生がパフェを食している姿。

わたしはいったいなにを観せられているのか。
中年男性が自分の好きなように若い女性を撮りたいだけという理由でこの作品を生み出したのだとしたら、それは大問題なのではないでしょうか。

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