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生い立ちパズル⑤ piece:バレエとオルガンと十二指腸潰瘍

祖父母の家は ぼろぼろのあばら家。
見た目がぼろぼろ。

友達に家を聞かれるのが 嫌でした。
恥ずかしいと思ってました。

4畳半一間、3畳一間、狭く暗い台所。部屋に上がるのに 床下が50cmほどあった気がします。床下は普段 木の板で隠しています。 通気を良くするということもあるのだろうけど 土がそのまま 敷いてあって たまに わたしは その床下も気になって 覗いてましたね(笑)
台所は 床下にあるので 毎回 50cmの高さを上がったり下りたり。大変です。
下はコンクリートで冷えます。

年老いてからの家事は 大変だっただろうな、と 祖父母のこと思うことあります。

雨が降ると 緩い坂の下に位置するので 玄関前は水が溜まります。
土間には 時折 鼠や蛇も出ます。


今 見ると なんだか味もあるんですけどね。



 余談。
誰も信じてくれなかったのですが、隣りの家の土壁の下側に 穴があったんです。そこへ 蛇が入っていくのを よく見かけました。
わたしは 気になって その穴をよく覗いてたんです。
そしたら、ある日、ふたつの首のある蛇を見つけたんです。
でも、誰に話しても 見間違いだと言われるので そうかもしれないなぁ、と思うようになり、それがただ自分の脳内で つくり上げたものなのか、実際見たものなのか、よくわからなくなりました。



母がいた頃、入学前に バレエとオルガンを 習っていたことがあります。
祖父母の家に わたしのオルガンも引っ越しました。

雨の降る日は、古い家なので 雨漏りするため、 器やバケツが置いてあり 雨が落ちる音が 楽しいオーケストラになります。

ぽつん、ぽちゃん、ちゃぽん、ぽつぽつ、

雨が激しくなると より一層 リズムが速くなる。音も賑やかになる。

 滴る雨音を 耳でよく聞いて 感じて オルガンの鍵盤で 音探しをします。
「この音に近いかな」
「あの音はこれかな」

あの遊びは楽しかったな。

わたしは もともと競争心がなく、バレエも ただ 先生が教えてくれることを 言葉で聞いて 見て真似をして、その後、それを『感じる』ということをするのが好きで 踊っていました。
その世界に入り込んで 演じていられる、集中できる世界観が好きでした。

発表会で 主役に選ばれて ひとりだけ 違う練習をするのだけど 『発表会』というのが嫌いで 楽しく踊れない。
主役が嫌い。人の目が嫌い。
体調崩して 発表会に出るのも辞退し、母がいなくなって バレエも辞めました。
発表会を辞退して ほっとしていました。

周りの人には 散々 いろんなことを言われましたが。

だけど いまだに バレエを習っていてよかった、と思うのは 先生が教えてくれた、
指の先まで 気持ちを込めて、うんと込めて指先からも気持ちを そっと出すような感じ」という言葉の表現。
この教えは ずっと役に立ってます。

『思い』を指先からも出せるように、ということ、それは優しい魔法を覚えた感じがして、この表現とても好きなのです。

至るところで 思い出しては、所作にも気遣ってみたり、言葉だと 言い過ぎたり、足らなかったり、を 気持ちをこの指先に込め、軽く祈るように伝えること覚えました
(伝わってるかどうかは別として。伝わるといいな、と 今も信じています)


祖父母のあばら家には 小さな小さな天窓がありました。棒で突き上げて その棒を差して上に開けるんです。
 透明感のない天窓だったけど 開けてる時は その下で 横になって 見上げてると 野良猫がよく通るので それを見るのが好きでした。空を見るのも楽しかった。

学校は すぐ近くだったけど よく原因不明の熱を出し、しょっ中、体調を崩していて 殆ど 学校行けてません。

扁桃腺も よく腫れて しょっ中、高熱を出すのに 熱に強くて 高熱でも 普通に遊んだりするので 当時 診てくれた医師が 祖母に
「この子は 熱に強いみたいやから 大人が気をつけてないと危険だ」とか話していたのを覚えています。41度とか しょっ中、出てました。

本当に よく高熱出すので 一度は 扁桃腺の手術をするか、という話も出たけど 珍しいほど 扁桃腺が細く、切ることは難しいと言われ、結局 成長すれば 体力もできて、熱も出なくなるから 様子見、ということになり切らずにすんでいます。


確かに 医師の言う通り、成長すると共に 高熱を出すことは少なくなりました。

あとは 他にも しょっ中 腹痛です。
これは 小学四年生の頃、病院で 「十二指腸潰瘍」と診断されます。
 医師が
「こんな年齢の子が十二指腸潰瘍っていうのは 周りの大人が悪い」
と 祖母を叱っていたのを聞いて それがまた わたしには辛く、
『祖母は悪くないのに…』と思い、胸が痛かったです。辛かったです。
強くならなきゃ、と思いました

今の自分から 当時の自分を考えると 相当 大変だったと思います。
 生まれつき 敏感にいろいろなものを 感じる性質だったので  いろんなものを受け止めてしまったんだろうなぁ、と。

でも また逆に、それだからこそ、いろんなものを受け止めても それらに取り込まれないように 感情にブレーキをかけつつ 妙に 自身のことも他人事のように 目の前のこと 客観視できている部分もあったから よかったのかな、とも思います。
それは 『もうひとつ』の存在のおかげかもしれないけど。

これは、成長してからできるようになりました。子供の頃は ニュースを見ても 他人から聞く話でも 本でもなんでも 自身が体験したように 暫く 引きずります。
敏感だったからこそ、強くもなれたんです。



                                                𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭     

経験により、生まれ持った敏感な性質も 変えていけるのかもしれないと思います。
変えなくとも、うまく使い分けできるようになる気がします。
 軸である自分が強くなることを望めば。簡単なことではないですが。

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