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アイディアを如何に昇華させるか

先月、34歳になりました。

20代で、大量のインプットとTry&Errorみたいなものを繰り返し行って、いろいろな人からフィードバックをもらってきて、ようやく足し算だけでなく、引き算ができる年齢になってきたと実感がある。

20代の頃はとにかく、自分が知っていることはすべて盛り込めば良いものができると信じていた。
おそらく教授にも呆れられていたと思うが、修士論文は300頁を越えていたし、新入社員の頃の提案プレゼン資料は、ページ数30頁を下回ることは無かったと記憶している。客先や共同開発先とのメールや資料のやりとりも分量が多く要点を得なかったと今になると思う。

アイディアでも計画においても、最初のブレーンストーミングのフェーズではたくさんの情報を出して、リストアップしていくことはとても大切であるが、最終的な提案内容の分量は別の話だ。
ブレーンストーミングの段階で、不要に人を巻き込んではいけない(それがブレーンストーミングと理解して巻き込まれてくれる人は巻き込んでも構わないが)。その後、整理したなかで方向性を決めきれないものに対して、整理して要点をまとめ、無駄な情報をそぎおとすこともアイディアを出した人の役目である。そうして、最後のサイを投げるフェーズで人を巻き込んでいくべきだ。当事者でない人をその間で不必要な情報を与えて、惑わせてはいけない。

大切なのは、

一旦時間置いて考えてみること。意外と、その時の自分はまだ考え抜いていないとことがある。

ちょっと前のドラマで3年A組ってあったけど、あのドラマは良かった。変な2次情報に惑わされて動く人が多くなってきている昨今だからこそ、ちょっと時間を置いて考えるだけで、そのアイディアは何倍にも価値が高まる。

また、一時的に注目されうるアイディアの数や量・そのアップデートの頻度に目を向けないこと。

どれだけアウトプット出来たかではなく、
アウトプットによってどれだけ貢献できたかであるかである。

最終的に何個アウトプットをしたか(設計を何個した、論文を何本出したか)よりも、そのアイディアがどれだけ役に立ったかの方が重要である。その点に目を向け、目先のアウトプットや締切りに強迫観念を持ちすぎないことも重要だ。

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