生きている歴史とテーマパークとしての歴史
観光に関わっていると、歴史の話を聞くことが多い。
例えば、日本の観光においては、街のシンボルとなるお城が登場することが多い。そして、そのお城に紐づけて、町の歴史が語られる、という具合だ。
こうした歴史というのは、
・テーマパークとしての歴史
・現代に生きる歴史
の両パターンに分かれる気がする。
(もっとも、このどちらにおいても中途半端な扱い方をされている歴史、というものもあると思うが)
テーマパークとしての歴史
観光レベルで見る場合、テーマパークやエンタメとして活用されている歴史がほとんどだと思う。
これは、「今の消費者(観光客)が楽しめるように再解釈されて提示されている歴史」のことで、歴史をテーマにしたテーマパークももちろんだし、ゆるキャラや、歴史にネタをとったグルメなども、けっこうこれに当てはまるのでは無いかと思う。
その歴史の真相がどうだったかといった話はなく、歴史ネタが、断片的にエンタメとして活用されている事例である。
こう書くと、なんだか批判しているように聞こえるかもしれない。
だが、資本主義社会では、「売れる」ことは生きていくために必要なので、むしろ、「売るために歴史をエンタメにする」という姿勢にこそ、今を生きる人間の真実の姿があるのではないか、とも思う。
ただ、基本的にエンタメのネタのひとつとして歴史を活用するというだけなので、最悪、売れるのであれば、その歴史でなくてもいいだろう。
生きている歴史
一方で、生きている歴史というと、どういうものがあるか。
例えばだけど、近年、ヨガやマインドフルネス瞑想を行う人が増えている。
ヨガは、インドの伝統的な行だが、近年、西洋世界で再発見されるまで、インド国内でもほとんど廃れていたという。
マインドフルネス瞑想も、仏教の瞑想(特に座禅)由来の瞑想方法だが、西洋を経由して、今は広まっている。
これらはどちらも、欧米か日本・インドに逆輸入されたという話だが、その過程において、西洋で「これらの何が、現代を生きる人間にとって必要なのか」が問い直された。その結果、今、改めて注目されているということがある。
歴史や、その歴史が体現する価値というのは、現代を生きている人間によって、「私達にとって、どのような意味があるのか」という点で、問い直されたとき、僕達の血肉になるというか、現実レベルに足のついた価値観になるのだろうと思う。
これは、国や地域のアイデンティティの問題にも深く繋がっており、このレベルになると「その歴史は根付いている・生きている」と言えそうな気がする。
三豊について
もっとも、そんなえらそうな意見を書いたうえでだが、
「じゃあ、お前のいる三豊は、現代人になにか示せるような、そんな生きた歴史があるのか」
と問われると、正直、よく分からない。
三豊市の歴史は、三豊市内に住んでいても、よく分からないところが多い。
断片的にわかっているのは、以下のようなことである。
・(いつからかは分からないが)浦島太郎伝説が残る土地。
・7世紀中頃~8世紀初め頃は瓦の一大生産地。ここで作られた瓦が藤原京に運ばれてきた(宗吉かわらの里展示館にその後が残っている)
・粟島が、戦国時代は塩飽水軍の拠点のひとつとして、江戸時代は北前船の往来で栄えた。
・仁尾町が江戸時代、港町として栄えた(特に塩の交易が行われていた)。
おおまかに考えると、基本的には、
・江戸時代以前は、京都との関係で成り立っていた。
・江戸時代以降は、北前船や瀬戸内海の中の交易で成り立っていた。
ということらしい。
(何かを自発的に創造してきた土地、というより、基本的には交易をメインに成り立ってきたようだ)
このほか、金毘羅山のある琴平に近いことや、四国八十八ヶ所霊場の札所があることから、そのあたりの旅人を受け入れてきた歴史もあるのだろう。
ただ、これはあくまで、三豊という土地のもつ歴史の、ごく限られた一面だろうし、こういった町の歴史が、今この地に生きている人の心の地層をどのように形づくっているのか、あまりよく分からない。
地域活性化において、歴史というのは、ひとつの重要なファクターになると思うので、このテーマは今後、もう少し深堀していきたい。
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