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言葉の粒度と感動

こんにちわ。

お酒のせいでふわふわふらふらしながら、昨日の深夜に歩いた帰り道。
行きつけのカフェの前を通ったら窓が開いていたんです。
店主から夜通し仕込みやることもあると聞いていたので、
“こんな遅くにすごいな~ありがたいな~”と思ったのと同時に 
“化粧落とすのもお風呂入るのもめんどくさいな~”と怠惰な思考でいっぱいだった自分が恥ずかしくなって、一気に酔いが覚めたのでした。


そんな大好きな近所のカフェで、今朝はチーズケーキを食べながら店主の方とお喋り。
いつも美味しいお菓子を用意してくれるから、感想を『美味しい』以外の表現で気持ちを込めて伝えたくて、一生懸命味わって言語化を試みたんです。違ったら恥ずかしいなとドキドキしながら伝えてみたんですけど、
そしたら使ってる材料の詳細やこだわり、色々教えてくれたんですね。
それを聞いて食べると、聞く前より感じられるものが増えて、もっと美味しく感じるし、もっと好きになりました。

言葉の粒度によって、感動レベルが変わるな~と改めて実感した出来事。
言葉の粒度、表現の粒度が高いと、より感動をつくることができる。
どんなにすばらしいものも、
提供したい相手のもつ知識や経験と被らなければ、伝わる素晴らしさはきっと全体の一部に限られる。
いや、知識や経験があっても、自分フィルターで判断してしまって、それもまた伝わりきらないかもしれない。

私にできることは、言葉の粒度を高めて淡々と情報をお伝えすること。
決して独りよがりにならず、けれども相手のリアクションに期待することなく、新鮮な知識を更新し続けて表現の粒度を高め続けること。
正解のない感覚的なものも、正解とされている科学的事実根拠も、どんな想いをもって仕事をしているかって話も。
それは他の誰かとの違いを示したいのではなくって、結局行きつく先がみんなと同じで構わない。
特に大きな目的は持たずに、言葉の粒度を高めることに意識を向けて過ごしてみようと思ったのでした~

とはいえ、
言語化できない得体のしれないものとの遭遇も好きだし
言葉にならなくてわけわかんないけど心惹かれるってゆう感覚も同時に大切にしたくって。
言葉にならない佇まいみたいなものも大事にしたいし、そこからいい場の空気感をつくりだせる人になれたら最高です。


でも言葉の粒度とか言う前に、
あとで見よう~で先延ばしにしているオンライン勉強会をみなくては。
視聴期限残り数時間とかで焦りだす。
この毎度の恒例行事をやめたい。
酔いのせいと見せかけた怠惰さを、改めることが何よりも先かあ…

春分の日まであと少し。
今日も全てに感謝です♡


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