「胎界主」の感想を書こうとしたらレポートになったよ

【1.〈〉とは何者か】
 〈〉の数少ない手がかりの一つが「骸者連合国 カポック03」にある。ピュアは骸者たちにタロットを用い司神降臨について説明する際、最上位に位置するカード「世界」の中心の像に〈〉を幻視する。(※1)
 「世界」は四大司神(ヌン゠アダム、アトン゠イブ、アトゥム・ガイア・リリス、トト゠ロック)を内包しそれらは四隅の像に対応している。
 作中では「゠」と「・」の記号が明確に区別されている。現在判明している司神のうち名前の区切りに「・」が用いられているのはリリスのみだ(※2)。「゠」は原語の「−」に対応し、複合名、複合性に用いられる。要するに「゠」で繋がった二つで一つの名、もしくは姓なのだ。アトゥム・ガイア・リリスも元はアトゥム゠リリスだったが繋がりを断たれたと考えられる。
 ヌン、アトン、アトゥム、トトはエジプト神話において原初神や創造神としての一面を持つ神である。対してアダム、イブ、リリスは聖書における神の被造物である。

 異質なのがトト゠ロックの存在だ。彼は唯一被造物の顔を持たない。ロックはロック鳥を指すのだろうが(http://www.taikaisyu.com/00roc/roc-027/13.html)、他の面々に比してかなりネームバリューに劣る。四大司神の一柱、それも同じ四大司神すら縛ることばの力を持つ神にはふさわしいとは思えない。偽名、もしくは別の意味が秘されていると仮定できる。
 ここで思い出したいのがタロットカードの別名はトト゠ロック・カードであるという事実だ。人間には解読・発音不可能なものだった司神の真の名をソロモンが言葉で縛ったことに由来するのだろう。
 ではシャローム・タロット・アスはどうか。シャロームはソロモンの語源だから度外視するとして、トト゠ロック・アス。これは「Thoth lock/rock us(トトが我々を縛る/揺さぶる).」と読める。
 そうでなくとも「初めに言があった」という新約聖書の言葉に則れば、言葉の力/原初素を司るトト゠ロックは他に優越する、古い存在と言える。
 また四大司神の名前は〈エジプト神話・聖書〉の組み合わせで成り立つ。では聖書においてアダム、イブ、リリスに優る古い存在とは何か。それは先程引いた聖句から導き出される。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。/この言は、初めに神と共にあった。/万物は言によって成った。」(ヨハネによる福音書第1章1〜3節)
 新約聖書の原著は概ねギリシア語で記されているとされる。そのギリシア語で「言」とは単なる言葉ではなく「λόγος(ロゴス)」と表現されている。キリスト教においてロゴスはキリストを指し、上記の聖句は神のひとり子として唯一神に寄り添うキリストが描かれているというのが一般的な解釈である。
 よって、トト゠ロックにはイエス・キリストの名が秘されていると考えられる。

 さて、ようやく本題の〈〉である。
 ヌン、アトン、アトゥム、トトらに優越するということはエジプト神話から見て異教の神だろう。異教の神が悪魔ないし格下の神格として吸収されるのは広く見られる現象だ。その上アダム、イブ、リリス、キリストらを従え「世界」の中心に立つ存在となると――ヤハウェの他を置いていない。
 存在そのものが承認に依存する本作において、最も多くの信者を抱えるキリスト教の唯一絶対神の名ほど大きな力を持つものは無いだろう。それもイスラームのアッラーとて根は同じものだ。「契約の箱」が収められたソロモン神殿は史実通りであればヤハウェへの信仰によるものであるためソロモンと共に在ったことも頷ける。

 では中心にいる〈〉がヤハウェだとして、なぜ四大司神たちは複合名を用いてまで強く結びつけられた〈造物主/被造物〉の性質を付与されたのだろうか。
 作中で度々示される「胎界主だと驕る胎界物」という構図を踏まえると、これは「己は造物主だと驕る被造物」の表現だと解釈できる。
 彼らに囲まれたヤハウェもまた同じだとすると、その姿はグノーシス主義における愚かなる造物主、まがい物の神デミウルゴス(ヤルダバオート、ヤハウェ)そのものだ。
 グノーシス主義とは紀元一世紀〜三、四世紀頃に渡り地中海世界において流布した独特の世界観を持つ思想・宗教である。デミウルゴス創生の要旨をかいつまんで説明すると以下の通りである。

 はじめに至高神プロパトールが在った。彼の神性、アイオーンのうち叡智を司るソピアーはプロパトールを認識したい、理解したいと渇望する。そしてプレーローマ(真の秩序宇宙)からの落下の果てにデミウルゴス(ヤハウェ)が産まれる。彼は自身が被造物であるという真実を忘れ造物主として振る舞う。人々が生きるこの世は偽物の神が創った出来損ないの宇宙であり、そのため悲惨や悪徳に満ちている。(※3)

 作中で散見される原典を、そして原典が持つ真実を見たくはないか? という誘惑はソピアーが負けた誘惑と同一だ。すなわち、「本物の神(世界)を認識(理解)したくないか?」。
 以上のことから、〈〉とはデミウルゴス(ヤハウェ)であると私は結論づける。

 ただこれはピュアの見た「世界」の中心が本当に〈〉だった場合の話だ。彼の認識が正しいとは限らない。煩雑になるため詳しくは割愛するが、グノーシス主義で示される救いは自己の中にある至高神との同一性への認識にあり、その認識を助ける救済者(キリスト等)は偽りの神より立場が上となる。キリストこそ「世界」の中心、と捉えるならば〈〉=キリストという図式も成り立つ。

【2.帝王の性質、父子の構図】
 〈〉と同様にその正体が謎に包まれている帝王について少々述べたい。
 サタナキアが帝王に名付けたウーティス(nobody、誰でもないの意)=オデュッセウスなのはググれば一発なのだが、彼はギリシア神話の英雄である。しかし帝王=オデュッセウスとするのは早計だろう。注目すべきは彼に付与された性質である。貴種流離譚(若い神や貴人の苦難ひしめく放浪の物語)の主人公なのである。
 艱難辛苦を経て帰還したオデュッセウスが見たのは、妻ペネローペーに言い寄る男たちと彼らによって荒らされた領地だった。彼らを皆殺しにして一件落着となるが続編でオデュッセウスはキルケーとの間にもうけた息子に殺され、ペネローペーとキルケーはそれぞれ義理の息子たちと再婚する。

 これは父を殺し母を犯す息子の類型(オイディプス)だ。オデュッセウスは〈いずれ息子に殺される父〉という側面を有している。翻って言えば、帝王にもその可能性があると言えるだろう。
 父殺しは男性のポピュラーな通過儀礼で、現代の少年漫画や現実においても擬似的な父殺しが行われる。要するに父を超えるというイベントである。
 しかし本作では父と息子の関係が繰り返し描かれるにも関わらず不自然なほどこれが行われない。代表的な父の一人レックスは一応殺されたということになっているが、これも息子の手によるものではない。ルーサーは父が去った後も子どもを、家族を作ることを恐れている。レックスの呪縛は解けていない。また現実の旧約聖書におけるダビデの息子ソロモンも同様に「父を超えられない子ども」と解釈することができる。旧約聖書は最初の王サウルや栄華を極めたソロモン(3代目)を差し置いてダビデ(2代目)を讃えるノリなのだ。

 1〜2部で強調されるのは父子(特に息子)の関係ばかりだ。少女漫画等以外のジャンルでは普通かもしれないが、神話に多くの材を採っている本作であればもう少し女性が主要人物として関わっていてもいいだろう。何より〈胎界〉という名付けからして子宮がモチーフではあることは明白なのだから。
 作中では胎界主、特に真の胎界主がわざとらしいまでにひたすら称揚されるが、胎界=子宮と考えたときその主というのは絶対的に赤子(子ども)である。
 その〈子ども〉もまた、稀男の言動に代表されるように尊ばれる存在である。だが何の責任も無い、お菓子でも食べて遊んでいればいいとする言葉は諸刃の剣である。外へ、荒野へと繰り返されるのは子宮からの脱出をも意味する。だが胎界主(子ども)という立場に拘泥する限りそれは果たされない。
 単に作者様がショタコンなだけかも分からんけどこれが意図的なものだとすれば、三部ではそういった親離れ的エピソードも盛り込まれるのではないだろうか。

【3.フィリップ・K・ディック作品との関連】
 フィリップ・K・ディックは1950〜1980年代に活躍したアメリカのSF作家である。かたやSF小説、かたやダークファンタジー漫画と表現媒体やジャンルは違えど、彼の作品には「胎界主」と通底するテーマの類似が見られる。(※4)
 虚実の反転、信頼できない語り手、この世界や自分は偽物ではないのか? という不安、実際にそれらが崩壊していく様が繰り返し描かれているのだ。

 またディック作品にもグノーシス主義の影響が見られる。それが顕著なのが『ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』から成る『ヴァリス』三部作である。一作目、二作目はグノーシス主義をはじめとして様々な宗教思想がある種脅迫的なまでに氾濫している。
 そして三作目に至って、そういったものに惹かれつつも一歩離れた眼差しが注がれる。本作で印象的なのが大切な人を次々亡くした主人公エンジェルによる〈神様が居るならどうして助けてくれなかったのか〉という嘆きである。
 これはグノーシス主義の「全能の神が創造したはずの世界になぜ悪徳や悲劇が満ちているのか」という問いかけと同質のものだ。〈信頼〉は聞こえはいいけれども果たされなかったとき、裏切られたという感情からは逃れられない。キリストでさえ十字架にかけられた際は「我が神、我が神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」と叫んだ。それでも、だからこそ信じることは尊いとピュアは示すが、その彼も信頼されることの重圧、理解されないことへの失望に膝を折った。
 現実世界で一番承認を受けている存在とは名前のない漠然とした〈かみさま〉か無から人を産み出せない以上〈父〉〈母〉なのではないか。それらは多くの場合無条件に愛を与えてくれる、無条件に信頼できる相手とされる。しかし現実はそうではない。神も父も母も皆不完全だ。骸者たちすら〈信頼〉に傾く中何も信じないとつっぱねる稀男の言動はそれらへの反抗に他ならない。(※5)

 その一方で、彼は誰に何と揶揄されようが他者を助けることを辞めない。
 稀男(無我)は「「親切は勝つ」そんなどこぞの小説家の受け売りじゃ礎にならねーよ」と井戸の男に罵られる(http://www.taikaisyu.com/21-02/13.html)。引用されているのはカート・ヴォネガットの言葉「Love may fail,but courtesy will prevail(愛は負けても親切は勝つ).」だが、この〈親切〉は以下に示すディックの言う〈親切〉でもある。

「あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない。」(「著者による追想」)
「われわれは本質の違いをうんぬんするのでなく、行動の違いに目を向けなくてはならない。〈中略〉“人”あるいは“人間”という用語は、われわれが正しく理解して使わなければならないものですが、それらはその起源や、なんらかの本体論に基づいてではなく、この世界での存在のありかたに基づいて適用すべきなのです。」(「人間とアンドロイドと機械」)

 〈人間〉と〈アンドロイド〉の葛藤、相剋は前述した中でもディック終生のテーマである。彼の〈アンドロイド〉は単なる人に似せられた人工物を意味しない。〈本物〉と〈偽物〉は産まれで決まるものではなく「どれほど親切であるか」、他者との関わりの中で決まる。
 稀男の〈親切〉に触れ「ボク これからは親切な人になる」と言って実際に身を投げうったアスの複躰はまさしく〈人間〉だった。まだ〈〉の問題は残っているものの、本体のアスは人形扱いを強いていたソロモンの手を離れた。
 そして出来損ないと蔑まれる稀男も〈人間〉であり続けようとしている。

 稀男はもしかしたら〈信頼〉や〈愛情〉を手に入れるかもしれないし、〈親切〉を辞め、新たな道を見つけるかもしれない。その答えが出るまで、とりあえず12年待ってみよう。


* * *


 以上胎界主を読んで一週間も経たない人間の書いた与太話でした。先行研究というか先人の考察にもまったく触れられなかったので諸々既出かもしれません。これだけしたり顔で書いた文章が全く的外れだったら普通にむちゃくちゃ恥ずかしいな。ていうかほんとはもっと軽く書き散らしてたのし〜い!面白〜い!って言うだけのつもりでした……。
 この長文を読んでくれた方に感謝します。胎界主面白〜い!!!!


【脚注】
※1「世界」の中心に居る存在については諸説ある。現実のタロットとは事情が違うので今回は考慮しなかったが、「運命の輪」を司るテュケを表すという説が存在する。そのあたりで稀男と絡んでくるやもしれない。

※2 他に例外としてテュケが居る。こちらは稀男の今後に関わってくるのだろう。

※3 アスタロトの仮説ではあるが、〈神〉が不完全なものだったのではないかという可能性は示唆されている(http://www.taikaisyu.com/27-01/32.html)。メフィストフェレスもまた、神々は狂わされたのではなく元々狂っていたのでは? という仮説を立てている。

※4 こぼれ話程度だが前項に関連して言うと、ディックの処女作『ウーブ身重く横たわる』でもオデュッセウスへの言及がある。放浪し〈帰ってくる〉英雄という点が強調される。

※5 稀男は女と魚が嫌いと公言している。魚はキリスト教徒やキリストのメタファーであるから、神を〈信頼〉する行為への反感の表れともとれる。ピュアの小魚の喩えとも一致する。

【参考文献】
Web漫画 胎界主(http://www.taikaisyu.com/)
フィリップ・K・ディック「著者による追想」(『ディック傑作集〈2〉時間飛行士へのささやかな贈物 』早川書房 1991/01 浅倉久志 訳)
フィリップ・K・ディック「人間とアンドロイドと機械」(『アジャストメント ――ディック短篇傑作選』早川書房 2011/04 浅倉久志/大森望 訳)
フィリップ・K・ディック『ヴァリス〔新訳版〕』(早川書房 2014/05 山形浩生 訳)
フィリップ・K・ディック『聖なる侵入〔新訳版〕』(早川書房 2015/01 山形浩生 訳)
フィリップ・K・ディック『ティモシー・アーチャーの転生〔新訳版〕』(早川書房 2015/11 山形浩生 訳)

KHOORA SOPHIAAS(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html)
グノーシス主義−Wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9)
ヨハネによる福音書(http://bible.salterrae.net/kougo/html/john.html)
説教「はじめにことばありき」(日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会 https://www.suomikyoukai.org/?p=13571)
『世界神話事典』(角川書店 1994/01 大林太良 他多数)

Webサイトについては、参考文献が提示される等信頼の置けるものを複数参照した。他諸々厳密じゃないけどご容赦ください(◡ ω ◡)

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