不摂生って砂漠みたいだなって思った

推しの漫画家さんがいて、Twitterをフォローしてるんだけど最近つらくなってきた。何がつらいって、その人めちゃくちゃ不摂生なのだ。

Twitterの中には不摂生か不健康というか、生活がInstagramのようには保たれてない人がたくさんいるし、保たれてないどころの騒ぎではない人がたくさんいる。それでもまあ、破壊的な不摂生、つまり夜中にラーメンを食べだしたり、オタクであるがために睡眠時間を異様に削っていたりと破壊的、いやむしろ爆発的創造に基づいた不摂生な人たちはつらくない。むしろいい。私は爆発的な創造が出来るほどエネルギーが無いから、と言っても休日全部消費して一か月分特撮見たりするけど、Twitterに生息してる人たちほどの爆発力が無いから、そういう創造は見ていて気持ちがいい。スポーツ観戦やアイドルを応援することに似ている感情な気がする。オタクがオタクを応援することに名前はまだないけど、多分そういう趣味が私にはある。

そういう爆発的創造から来る不摂生な人はいいのだ。いいか悪いかは私が決めることじゃないんだけど、私にとってはいいのだ。つらいのは、退廃的な不摂生な人。なんか食事の回数も少ないし、創作活動も低活発だし、外出もしてないみたいだし、昼間は外に出てない上にカーテン閉めてるみたいだし。別にいい、個人の自由だから別にいいんだけど。退廃的すぎる。何となくその人の不摂生ツイートを見るたびに心に砂漠が広がっていくのだ。

人は土から離れては生きていけないのよ。シータのセリフだけど、多分現代でもその通りだよ。土から、太陽から離れて暮らすのは多分心のどっかが死にやすくなる。そもそもイメージの問題じゃなく事実として、太陽光浴びないと鬱になりやすいのだ。太陽光浴びないと脳内の伝達物質のあたりが上手くいかなくなる。土に触れて、太陽にあたって風の隣で人は生きるように出来てるのだ。だからせめてカーテンは開けてほしい。

推しが不摂生であることはつらいんだけど、その本人がなんにも思ってなさそうなのは本当につらい。あんまりよくない状態だと思いますよ。でも私はTwitterの向こうから眺めてるだけである。いや多分本当になんとも思ってないというか、多かれ少なかれみんなそのぐらい不摂生と思ってる節がある。つらい。何がつらいって私もそっち側の不摂生さを持った人間だから、意思を強く持たないとカーテンすら開けず何も食べずに休日を終えかねないというところだ。何となく自分が近いから、よりリアルに砂漠を感じるんだろう。

多分本人にとっては大きなお世話で、私がこんなはるか遠くでこうやって思いを書き散らしてることすら本当はよろしくないよなあと思う。口をつぐむか本人に言うかどっちかでしょ。匿名でこんなこと言い散らすのは良くない。でも見ていてつらいのだ。そして知らない1ファンが言うには少し生活に密着しすぎた内容なのだ。

絵やワードセンスは本当に好きなので、できれば遠くから見ていたいんだけど、ちょっと砂漠が広がりすぎている。

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