外見って大事だよなって思った

人に寄ると思うんだけど。見た目が美人とかそういう話ではなく、自分で自分に対してテンションが上がる格好をするというのは大事なことだと思う。外見っていうのは、自分が思ってる自分の形を整えることだ。健全な魂が健全な肉体に宿るなら、私らしい魂は私らしい外見にこそ宿るんじゃないだろうか。

仕事が休みなので、爪を全部色違いのミラーネイルにした。これだけでめちゃくちゃテンションが上がる。仕事が固めの仕事なので、普段は派手なものは出来ない。私はそもそも原色でカラフルで柄の大きな派手なものが好きなのだ。ギャルではない。ギャルだったこともない。学生時代はギーク寄りだった。でも派手な見た目が好きなのだ。社会的制約が無ければ髪はアッシュに抜いて毛先を水色とピンクにしたい。割と真剣にそう思ってる。

固めの仕事なので、普段は割と地味目の服装をしているのだが、休みの日にがっつりやるともうそれだけでテンションが上がる。自分を取り戻すような感じだ。できれば普段からこういう色合いで暮らしたいのだがそうもいかない。外見って人を形作るものだから、私らしいで全てが済むわけではない。社会人なので、役割にあった外見を作ることも必要なのだ。少なくとも私はそう思っている。

でも例えば「高校生らしい」とか「保護者らしい」とかそういうのは何かよくわかんないなって思う。高校生にも、保護者にも何万通りもあるのでは?例えばホテルのフロントさんとしてふさわしいとか、そういうのはあると思う。でも例えば保護者ってさ、弁護士の親とギタリストの親では間違いなく外見が違うのでは??と思うので何となくそういうのは違和感がある。ギタリストにしたってヘビメタとフォークではだいぶ違うだろう。

まあでもこんなの私の主観での基準に過ぎないので、私の持ってる価値観ってだけなんだと思う。ちゃんと説明できないし。外見って自分で形づくれるものだから、それぞれの基準で自由に作るといいと思う。でも外見には責任もある。私が仕事にめちゃくちゃなネイルで行かないのも、仕事の日はアイラインを下には引かないのもそういう理由だ。めちゃくちゃなネイルで行けば「やばそう」って一定の確率で思われるし、信頼される確率も下がる。別にプライベートならそういう人は願い下げ、で済むけれど仕事はそうもいかない。だから大多数の人に受け入れてもらいやすいような恰好をするし、髪は染めない。時計はきちんとしたものを付ける。休日にしてるリングウォッチは職場にはしていかない。

多分、私は今の仕事は外見を多少犠牲にしても付きたい仕事だったんだろうなと思う。私にとって外見ってすごく大事なものだけど、それと今の仕事を天秤にかけたことはない。時々地味な服装が嫌になるけど、香りのいい紅茶とか飲んどけば解消される程度の嫌さだ。

でも休日にこうやって好きな形や好きな色に自分をしておくのはすごく楽しい。休日しか着ない服もたくさんある。仕事に履いていけない靴もたくさんある。でも仕事も好きだし、自分の形を作るのも好き。両立するんだなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?