「不思議の国の私」から抜け出したい
生きている限り、どんなに落ち込んでいても
「生きてていいのかな・・」という問いかけに対し、
「NO」と答える人は ほとんどいないだろう。
(よっぽどのモラルが欠けている宇宙人ではない限り。)
まず、何か負の感情を持った時、真っ先に自分を責める。
…というか、自分を貶す。
「お前みたいな出来損ないが、なぜ批判する。お前は黙ってればいいんだ。我慢をしろ。」
限界を迎えた時、ある人の前で心から泣き、そして次の言葉を出した。
「1番自分のことを分かっているようで分かっていなくて、そんな自分の心に対するDVを与えていたのは自分だった。」
・・と。
そこまで分かっているのなら、そうならないようにすればいい。
開き直る様な言い方だが そんなこと出来たらこうはなっていない。
心へのDVなんてしなかっただろう。
・・優しくするってどうするんだっけ。
他人にはイメージが出来、自分の出来る最大限の優しさを向けることが出来るのに。
・・・今日はなんだか疲れているな。様子がおかしいな。
いつもの元気がないや。
ここまで自分の状況に気づいているはずなのに
自分のために休もうと過ごすと、自己嫌悪メーターがMAXになる。
そして、上記の状況が 極限まで行くと
自分が何だか分からなくなり、
「まだ大丈夫」「全然このくらいなんてことない」
・・とまあ
マインドコントロールが始まると
気づいたら しばらくの間、迷宮入りしている。
ゲーム好きな自分が浮かび上がるもの・・
目の前に現れた問題(モンスターや それらのいるステージ)に対し、
「こうすれば今の状態から抜け出せていいかも」と
攻略法が分かっているのに
一向に次のステージや階段が見つからない
なんか・・これって・・不思議のダンジョンみたい。。。
本が好きな自分から浮かび上がるもの・・
いつも通りの日常を過ごしていただけなのに
眠りにつくと共に全く知らない(予想できなかった状況に突然なる。)
あべこべな世界(思い描いていた理想とは反対の位置)から抜け出したいから色んな策を取るけどなかなか抜けられない
これって・・「不思議の国のアリス」みたい。。。
あれ、、、???
あの主人公の女の子って こんなにずっと苦しそうにしていたっけ。
予想できなかった状況(※パニック状況とでも言っておこう)になったらなったで 確かに辛いだろうが、その都度その場面を楽しむスタイルしていた様な・・・。
書き出しからダーッと自分の浮かび上がるものをつらづらと書いていたけれど、これは事実の話。
だが、書いている途中で浮かんだものに「不思議の国のアリス」が浮かんだ私もいる・・・。
今すぐに変えることは難しいかもしれない。
物語がスムーズにとんとん拍子でサクサク進んでいたら 確かに楽かもしれない。ゲームにしても読書にしても。
・・・でも、それって「楽」なだけであって「楽しい」と心から言えるのかな。
遠回りして。道を間違えて。立ち止まってみて。また歩いて。
とにかく色んな道に自分の足跡を残して。
苦楽をも分かりあってこそ尚、ほんの少しずつでも経験して歩いて
ゴールに向かった方が やりがいはあるし これでよかったと達成感に満たされるんだろうなあ。。 ゲームも読書も・・・人生も。
・・・・脱線し、長くなったが
繰り返すが そんなに厳しくしなくても・・と言っても
私はこういう人間だ。
自分に優しく、だなんて そんな日がいつ来るのかも余計に分からない。
それでも、今置かれた状況にいる自分が何を思うかを
自分が「わかってあげること」
寄り添えなくても「理解をしてあげること」
褒めなくていい「認めてあげること」
そして 今この瞬間の人生の主人公である「私」に対し
どんな状況であれ、
これまでの人生を歩いてきた私の「データ削除」は絶対にしないこと。
どんなに立ち止まって下を向き続け、前を見ることさえ難しくても
「自分のゴール(こうなったらいいな)」という芯の部分さえ
忘れなければ。
いつかは。
もしくは気づいたら
異空間でもがいていた私が ゴールに対するキラキラと輝いた
抜け道が見つかることであろう。
it's too late to be sorry.
(後悔するには遅すぎる(本当はもっと早くに気づけたはず))
どうか後悔したとしても、それに気づき
時が経ったら 経験として 今以上に大切に出来ますように・・・。
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