太郎の母

 私は日本一有名な桃です。どんぶらこっこと流れてきた、あの桃。そうです。桃太郎が住んでいた桃です。桃太郎の母です。あの日、おばあさんが川に来たとき、この子を託そうと覚悟して川に飛び込みました。でもまさか、あんなことになるなんて想像もしていませんでした。私は桃太郎をあの老夫婦に託してからも片隅で彼を見守っています。

 老夫婦は想像以上に大胆でした。私を包丁で切ったときだって、冷や冷やしたものです。だって中には大事な大事な息子が住んでいた訳ですから。それから、桃太郎が大きな声で泣き出しても、ふたりはあの子をすぐに受け入れました。それには私もとても驚きました。

 桃太郎は彼らからの愛情を受けてすくすく育ってくれました。立派な青年になったときに襲いかかった試練はあまりにも厳しいものでした。鬼ヶ島に鬼退治に行ってほしいと言われたのです。そこまで育て上げたはずの老夫婦に。私はあのおばあさんを選んだことを酷く後悔しました。可愛い子には旅をさせよとどこかで聞きましたが、誰も鬼退治をさせよなんて横暴なことは言うはずがありません。あの子はきっと断らない。それを知っていてそんなことを頼む、彼らこそ鬼なのではないかと、当時は頭を抱えたものです。
でも彼らにはやはり感謝しています。得体の知れないあの子を立派に育ててくれたから。でもそれとこれとは別の話です。私は同時に彼らのことを憎むようになりました。

 おばあさんは桃太郎にきびだんごを持たせました。せめてそこはおにぎりではないのか。鬼斬りなんて縁起が良いのではないのだろうか。いえ、なんでもありません。他所の人の握ったおにぎりは怖いとか、そんな話をしている場合じゃありません。桃太郎は鬼退治に出発してしまいました。
桃太郎はとても優しい子です。彼は誰かからの頼みを断ることの出来ない所謂イエスマンでした。皆さんも知っての通り、桃太郎という物語はだからこそ成立したのです。

 鬼退治の依頼を受けたあの子が次にイエスといった相手はあのお馴染みの動物たちです。
動物たちは、桃太郎に「おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」と言いました。桃太郎はそれに対して、「これからおにのせいばつに、ついていくならやりましょう」と返します。

 桃太郎のこの発言を聞いて、私はもうここにいるべきではないのだと悟りました。あの子はもう、私の子どもではないのです。あの、おばあさんとおじいさんの子として、大きく育ったのです。その証拠に、彼はおばあさんたちに似てきました。鬼退治に、きびだんごたったひとつで動物たちをお供させようとする、鬼のような厳しさを彼はモノにしていたのでした。

 ただでは首を縦に振らなくなった彼に、寂しさと同時に頼もしさをも感じています。そろそろ私も朽ち果てて、土に還る頃。健闘を祈れば、お別れの時間。

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