無神経シンドローム

 世界のことを知ったような気になってバカみたい。私は私の歯が痛いだけで何も考えられなくなって泣いてしまうし、誰かの愛する人が何かに殺されたって、ただ生きていくことしかできない。死にたいが口癖の彼女が他人の死を拒むことが、矛盾であることに早く気づいてほしい。きっと死ぬ気がないことも知っているけど、死にたいと言うだけじゃあ心は軽くならないことを学んでほしい。
自由こそが数多の不自由を生み出すのだと、そう先人は言った。それなら自由なんていらないと、社会は束縛を望んだ。不自由を生まなければ自由は尊いままだと、誰かは言ったのだろうか。もし言ったのだとしたらその声は、大衆という掃除機に吸い込まれて焼き尽くされてしまったのだろう。生きていくことは辛い。そしてこの上なく苦い。誰もが知っていて、それでも人に優しくなれない。人に優しくしたいなどと思うから、人は優しくなれない。自分が傷ついて、他人を救いたいと思う、その気持ちは美しい。だけど僕らにはもっと大事なことがある。それは他人を傷つけないことだ。あなたが傷つけなければ、それだけでその人は救われる。そんな簡単なことにちゃんと気づいてほしい。他人はいつまでも他人のままで、だからこそ時に寄り添い合えるのだと、それくらいのことを知っていたい。
 苦しくて痛くて悲しいのに生きている理由が分からないなら、それを変えてしまうしかない。一瞬でも何かを愛おしく思う瞬間があるなら、生きていることは無価値ではないし、これからその瞬間が何度も訪れるなら、生きていたほうがいい。希望も絶望も形は違うけど望みだから。笑っていても泣いていてもいい。我慢しても逃げ出してもいい。前に進んでもいいし、上に進んでも、下に進んでも、後ろに戻ってもいい。
歯が痛くて仕方がなかったら、泣いたっていいし、休んだっていい。今日予約した歯科が明日潰れていないことと、健やかな今夜を願う。さっきを笑って過ごせた今夜をほんのちょっとだけ誇りに思う。だけど今夜も歯が痛いから、なんだかつまらなくて嫌い。

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