live a lie

 秋の日の記憶の中の少女。あの子はどこの誰だったろう。あれは初恋と呼ぶには淡すぎて、ただの思い出とするには勿体のないどこまでも穏やかな日々だった。そして大切な記憶にほど靄がかかるのだとしたら、あの頃の少年は幸福で仕方がなかったに違いない。
 僕がそんなことを思い返しているのは金木犀の匂いのお陰でもアルバムの景色のせいでもない。ただいつも通りホットコーヒーを飲んでいると不意にあの日々が落ちてきたのだ。コーヒーなんて飲めなかった幼き日の記憶が、いつまでも鮮明でそれなのにモノクロなあの子との時間が、数日だったのか数時間だったのかそれとももっと長い時間だったのか。今では不確かなことのすべてが僕とあの子が出会った証であり、すれ違った軌跡なのだ。あのまま二人が幼馴染として連れ添っていたら、僕はあの子と結ばれたのだろうか。でも報われる可能性の裏にある今を嫌いになるつもりはない。それとも二人の本格的なすれ違いに怯えているのかもしれない。とにかく今ある思い出の温度だけは、これからの永遠に引っ提げよう。運命的な再会にも人為的なそれ以外にも付け込まれないように。
 この思いこそが甘酸っぱい初恋なのかもしれない。少年であった僕と秋の日の少女、その関係に恋い焦がれる僕。なぞっても尖り兼ねる三角形を夜空に浮かべたくて両手を広げたけれど、醜いだけで未だ飛べない。それでも今は続くから歩く。

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