おと

 音の鳴るほうへ。向かって歩く。当たりは一面の霧で足場はぬかるんでいる。でも向いているほうへ、前へ、意地になって歩く。幸せの答えなんてないけど、今日も歩く。ある夜、おおきな月が見えた。僕の頭はくらくらして、変な気を起こしてしまいそうで恐怖を感じた。君の笑い声が後ろから聞こえた。僕は抱きつきたかった。でも必死で足を動かした。もうじき、もうそろそろ、見えるだろうか。あの音が。あの音を鳴らす何かに、会いたい。衝動が抑えられない。このままベッドに入ったら、そこにある純粋な何かを穢してしまいそうだ。目を細めて音をみる。まだだ。まだみえない。まだみえない。見えない何かをつかみたくて生きているなんて、なんて、馬鹿みたいで青臭くて人間臭くて。なんて素晴らしいんだ、人生は。なんて。言ってみたくもなるんだよ。ああ、音の右端がやっとみえた。丸みを帯びて尖っていて、檸檬の端っこみたいだ。甘酸っぱい香りからは、はちみつレモンの苦い記憶が思い出された。

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