ロックンロールとアイドルは似ている

 若手バンドが売れ始めた頃、古参若しくは老害と呼ばれるファンたちはよく、アイドルじゃないのに。と言う。メディアから受ける扱いや、新規の顔ファンと呼ばれるリスナーに対してだ。確かに私も同じように思うことはある。彼はバンドマンであってアイドルではないのに。

 ではアイドルとは何なのだろうか。私はももクロが好きだ。歌手でありダンサー。時に女優や声優、コメディアンにさえなる。そんな様々な活動の前提としてアイドルである彼女たちが存在する。つまりきっと、アイドルに定義はない。限界も行く末も用意されていない。だからこそ私は彼女たちを推し続けている。

 自由を求めてロックンロールミュージックを鳴らしていたどこかのバンドマン。彼らはタレントめいてしまってすっかりロックじゃなくなった。って。君が救いを求めて聴いた音や声や響き、目の当たりにしてしまった意地と誇り、そして彼らと共に見た景色はそんなものだったのか。馬鹿らしい。それなら最初からご丁寧に拾い集めたりなんてせずに、知らないままでいればよかったのに。

 自由を求めてロックを鳴らした、彼らも今ではまやかしでつまらない。それなら君が刻んでみろよ。だけど君はね天邪鬼。彼らの鳴らす音がまだ好きなら手をあげたって叫んだっていい。ただ遠くからみているだけでも。ただなんとなく聴いているだけでも。リスナーも自由、それがロックだ。

 自由が何かも知らないままに目の前の歌を表現して、笑って泣いて夢をみた彼女たち。アイドルが君に何をした?中傷的に比喩されても笑って流してくれたからって、推しもしねぇのに甘えんな。悪意は胸の内。ってこれ、節分の挨拶よりも常識。

 ロックンロールとアイドルは似ている?ああ戯言はどうだっていい。自由を求めて鳴らした音が歪み切っていて、向かいからは不自由に見える。私たちはそれを憂いでもいい。笑っても、嗤っても、泣いたっていい。

 誰かを傷つけてでも守りたかった、誰にも通用しない朧な正義。そんな不自由さえいつか自由にしてくれる、そんな言葉と出会えたらいいね、君。

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