面倒

 抱いた女はその日のうちに振っておいたほうが身のためだし、吐いた言葉はその日のうちに片付けておくのが賢明だ。だってそいつらはどうせ何の役にも立たないクセに、僕の周りをウロチョロしてとても健康に悪い。
「ねえ、次の土曜日」
メッセージアプリの普及に伴って人々から言葉の面倒が奪われていく。そういえば僕には実感できない時代になるが、電子メールの普及に伴うそれもこんな感じだったのだろうか。その喪失が僕に超過したストレスを与えるように、彼らにとってのそれもこんなだったのだろうか。
「空いてるけど」
僕は面倒を面倒で返す。もしこれが、例えば長年計画を立ててやっと実現した殺人の後処理の連絡だったなら、もっと気の利いた返しで楽しめたのかもしれない。
「じゃあ映画見に行こう?」
見る、観る、診る、看る。変換の正誤と意味合いはどうだっていいが、最後のクエスチョンマークは物凄く鬱陶しい。映画を観に行きたいのなら、だとしたらそう言えばいい。なのに僕の人生なんて背負えないからって言い訳のように肯定を促すなんて、本当に女ってやつは小賢しい。目障りで耳障りで、強いてもの肌触りだってケアの賜物だとかなんとか。女は毎月産むかもわからない誰かのために腹を痛めるという。でもそんなこと、男には関係ないだろう。他人の痛みや苦しみになんて誰も興味がない。医者だって診断を怠って全部ストレスで片付けるって噂だよ。こっちがストレスだよとでも言いたそうな顔してさ。

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