君、風景

 君があの子を見ているときの顔。私には見せない表情。私はそれを見るのが好きだった。そんな目で、見られたいなんて言えなかった。君が、私を見ているときの顔。私だけを見ているときの顔。それなのにほかの誰かを見ているような色色を含んだ表情。決してあの子には見せない表情。あの子がたまに盗み見ている君。

 君が、今までに見せなかった顔をしていた。どうしたの?と聞くと目を潤ませて、なんでもないと言った。切ない顔だった。それは大切なものをなくしてしまったときよりも苦しそうで、大事な誰かを思い出せないような、そんな顔。覗き込むと無理に笑って痛痛しい。君を笑わせて幸せにしたいと、今初めて思った。

 君の人生に自分はいてもいなくてもいい。そう思って、思い続けて生きてきた。いるのも悪くないくらいの存在。たまに笑わせられるのが強み。それでよかった。それがよかった。多くを求めるには、数多を与えなければいけない。誰かに親切にされた夜に、自らの相対的不甲斐なさを嘆いて嗚咽した秋を思い出した。日日を誠実に、あれを続けると、君は振り向くのかもしれない。でもやっぱりそんなにがんばれないよ。って、曲がった背中をさすってくれた手は今まで知らなかった君のこれ宛ての体温。

 ありがとうはさようなら。今までありがとうって手を、振るのに君が慣れていて哀しくなったから、その手を強く握った。君宛ての感触がいつか届いてしまえばいい。

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