執着液

 過去の話をした。むかしむかし、そう、中学生のころの話。当時も今も、嫌われたのかすら定かではないけど兎に角その瞬間から、どうでもいいと思っていた。思っているのに話していると泣きそうになるのは、いつか500円の手相占いで言われたとおり私のプライドが高いからなのだろうか。

 まったく違う生き方をしてきたまったくちがう人間が同じ屋根の下に暮らすのは可笑しなもので、なんて言ったら新婚みたいに聞こえるわね。残念ながら彼女、同居人との話なのだけれど。イライラしたり、夜を無駄にするくらい話し込んだりする。大したことなんてないのだけれど。そのひとつひとつが、私の生きている今だったり私の生きてきた昨日だったりするらしい。

 こうしてたまに、エッセイだとかタグをつけて、自分語りをしているでしょう。自分の書いたもっとよくわからない文章も私は好きなのだけれど、実話に基づくなんやらのほうが、他人は好きみたいね、なんとなくだけど。
考えてみると、私も他人の書いたエッセイなんて実は好きよ。だけど、そうじゃない物語だって好きだわ。なんというか、結局同じだと思うの。確かにエッセイという形式、実話や自分の考えを元に書いているものはわかりやすく、伝わりやすい。でもそれが利点であり欠点でもある。ただそれだけよ。所謂小説やその他の体裁だって、書き手の中を開いて覗き込むという点では変わらないもの。直接的ではないから書き手は誤魔化すことができるし、可能性を秘めているから読み手は勝手にパズルすることだってできちゃう。読んだ瞬間から自分のものにできるって、かなり素敵なことじゃない?まぁ他人の書いた本を読むことなんて、恥部に恥部を擦り付けるみたいなものだから。ただ一時の、快楽よ。それでもよければこの世界の永住権を君にあげる。

 余計なことを話し過ぎたわ。って、文字という最強コミュニケーション手段下では照れだってうまく隠せなくて、でも今さら恥じらったところで大事なところもそうでないところも全部見られている訳だからどうしようもなくって、今日も誰かのためみたいな顔をして自分のためだけに電車に揺られていて、君のためだとか銘打って自分のためにディスプレイに文字を飾るゲテモノだったりするのです。ああ、君も情けなく生きて、いつか、死んでしまうといいのだわ。

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