人事よ尽くせ

 なんで私ばかり。とは、人がよく思うことで、なんであの子ばかり。も然り。他者が存在するからには相対的にみてしまうのは仕方がない訳で、それは私たちが他者から産まれる時点で免れない不幸だ。

 同じく、あの人よりはマシだ。と、自分を愛でて安心する。それも本能だ。その人に、あいつよりはマシだ。と思われていたとしても知ったことではない。私たちは何故かそういった相対に焦がれて生きているし、その類の幸福に救われてさえいる。

 病気や災害、煽り運転による被害。この世には様々な不幸があるけど、そのうちで絶対的な不幸とはなんなのだろう。被害者とともに加害者の存在する犯罪はそれに近いのかもしれない。だが、加害者が絶対的な幸福の下にいるとも限らない。しかもおかしなことに、文章にして読んでみるとこれこそ相対評価のように思えてきた。

 天命ということばがある。長寿が幸せなのかと問われ安楽死に憧れ健康寿命と叫ばれる今の世の中にできることなんてないし正解もないけど、私は管を纏ってでも酸素の味を確かめたい。

 天が命を分かつならそれは私と変わらない、ただ悪趣味なだけの存在らしい。怖くなんてない、生まれた時点でこっちのものだ。

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