永遠に大人になれない私たち

 「いつになったら大人になれるのだろうか」と、大人たちは言う。「もっと大人になれると思ってたのに」と、口々に言う。

 大人たちの本音や弱音に触れることの増えた私は、以前より少し大人になったのだと思う。
 大人になるということは、先人たちの人生を分け与えられることに近いのかもしれない。だが、何かを分け与えてくれるのは、なにも年上に限ったことではない。自分より年下の子どもから何かを貰うことだって多々ある。

 人と接するということは、人の経験を享受することだ。そしてそれは、自分をより豊満にしてくれる。追体験とか大袈裟なことを言わなくても、人と人との関係にはそれほどのパワーが秘められているはずだ。

 20歳、成人年齢を超えてから、同年代たちが大人になれないことを危惧している。それは、実家に住んでいるとか、仕事に自信がもてないとか、年金のあれこれがわからないとか、そんな小さな(或いは本人にとってのみはとても莫大な)ことだ。でも、よく考えると、10代の頃の同年代の悩みとは、全くもって違うと気づく。成人年齢、あながちやるじゃん。(なんて軽口を叩きたくなる程には、順当なのかもしれないね。)

  大人完全体なんてこの世の中にいるのだろうか。いや、いてたまるかよ。
おとななんてないさ、おとななんてうそさ!
たまにはふざけるのも悪くない。大人は大人なりに、子どもは子どもなりに。

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