渇きのちょっと奥

 半年ちょっと前に転職して与えられた自分のデスクの奥の方から、見ず知らずのあれこれが出てきた。2015年に期限が切れているお茶の粉、2014年のキャラクターカレンダー。何年も前から底にあった痕跡達に他人の気配を色濃く感じて少し嘔吐く。知らない誰かの勤務表をシュレッダーにかけながら、何年も前から処理されていない仕事を平気でやらせてくる上長に嫌気がさす。持ち仕事を早く終えると与えられるのは尻拭いとか尻拭いとか、尻拭いとか。そんなことばかり。介護職だし物理的な尻拭いなら幾らでもやりますけど?なんて言える訳もなく過ぎていく今日。

 臨時の仕事を入れられるのは構わないけど、15時迄休憩取れないとお腹すいて死んじゃう?とか、そういう聞き方をするのは非常にタチが悪いですよ。一食抜いて死ぬ社会人はあまりいないでしょう。せいぜい、血糖値が下がって倒れるとかそのくらいのことでしょう?次の仕事に間に合えば行きますし行きましたけどね。間に合わなくたってあなたはちゃんと謝らない。適当な素振りだけ。そういう人が上に立つ時代はまだ続きそうね。だって私上に立ちたくもないもの。少なくとも今のような現場ではね。この職場でも当社比マシなのだから、馬鹿馬鹿しくていけないね。

 橋の上で風に吹かれる。目に睫毛が触れているのか、砂埃が舞っているのか、とにかく異物感を取り除けずに、足をつきながらも自転車を漕ぐ。このまま直帰してもいいかしらとか思いながら、一応事務所へ戻る。オバサンの、上長への愚痴をまた聞いてあげた。吐き出されるだけを受け止めるだけ。私の気持ちはいつだってずっと私の体の中にある。

 今日は連絡がくるかなとかこないのかとか、自分から連絡もせずにそんなことばかり考える。きっと腐ったお茶よりもずっと苦い。どっちみち保証なんてない。そんな日々が続く。生きていてもいいと言われたから生きているけど、ずっと苦しいまんまだな。死ぬのは寂しくてつまらないから生きているけど、やっぱり苦しくてたまにダメになる。

 自転車を漕いでいると、道路上に手袋の片方を毎日のように見かけて、きみの生きた言い訳みたいだなって。まるで見つけて欲しいみたいにそこに置いていくのはズルいと思っていたのに、私の手袋もなくなってしまった。だから探したら例のところにね、デスクの奥にやっぱりちゃんとあったんだよ。知らない人と出てきたけどね。此れの思惑はどこにも散ってはくれないと知った。それどころか薄汚い埃を吸って帰ってきたから、綺麗にして優しくおかえりなさいって言ったんだ。

 今日はきみからの連絡もないんだね。会う約束に甘えているのかしら、まるでキープされたボトルみたいで不憫だな、私。他者の自己愛は愛せるのに自分のこととなると何ひとつ許せないな。愛してあげたいはずなのに。今でも好きなはずなのに。幸せにしてやりたいだけなのに。

 常識も時代とともに移りゆくように、当たり前なんてまやかしなんだと気づいてからわざと口にした当たり前に、私達の幸せも含まれているといいね。次があることが幸福だと気づけるといいし、また明日も当然の顔をして苦しみが私を襲うといい。私がきみに反撃しているうちに、きみが如何にも苦しんだような素振りだけをみせているうちに、バレないように消えてしまいたい。だけど命はそんなに都合よく儚くあってくれやしないから、だから生きている。だから生きていてね、お願い。

 

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