夜から朝へと続くみち

 8000日以上生きていても、飽きもせず未だに、他人の発言に違和感をもって、狭い部屋で何かに悪態をついたりする。

 占いは信じるなと○○さんに言われたから、占いを信じるのはやめようかな。誰かはそんなことを言う。今まで縋ってきたものをいともあっさりと手放そうとする理由は新たな依存先らしい。結局ずっと誰かのせいにして自分の人生を舐めているあなたなんかに依存される○○さんもお気の毒ね。なんて、どうでもいいような顔をしながら、そんなことを思う。

 やりたかったこと全部を失くしてしまった退屈に術を成せずに、他人の揚げ足を取る。諦めの良さが、取り柄であることを願いながら。天邪鬼を続けているうちに強がりと強さと弱さがぐちゃぐちゃになって、鈍い痛みが、名前のない臓器に沈んでいく。そんな印象ばかりが残る。ネガティヴな割には未来志向で、生きていくことだけは決めているから、将来への不安は募る。募っても、高い利息だけはつけないでほしい。なんならたまった分だけ、ポイント付与とかしてもらいたい。

 他にも、下らないことばかり考える。例えば、ちゃんとしたおばさんになれるのだろうか。とか。まだ若いっちゃあ若い年齢のうちから、そんなことばかりを考えている。果たしてちゃんとしたおばさんが何なのかも分からなくて、ちゃんとしたおばさんの苦悩も知らない癖に。そもそも今だって、ちゃんとした大人になんてなれていないのかもしれないのに。きっと私はちゃんとした大人なんかじゃあない、だけどどうせ、ちゃんとした大人でもあるのだろう。そういうもんなのだ。だから未来もどうせそういうものなのだろう。生きながらえる限り。

 今の自分は本当の自分じゃない、とか、今すぐここから抜け出したい。とか、そんな確信めいた何かじゃなくて、もっとふんわりとした、わたあめみたいな。若しくは咀嚼できずにくちゃくちゃ取り残されたままの、あれみたいな。そんなカスみたいなものが、慢性的にある。それは痛みになれなかった痒みで、苦しみになれなかった苦味だ。物心のついたときから、そんな、わずらいめいたものばかりが友を誓い合ったかのように付き纏ってくる。愛着なんていらないのに、少しだけ可愛いのも腹が立つ。

 炭酸の泡みたいなちっちゃい不満足がしゅわしゅわしゅわしゅわいつも弾けていて、終わると気が抜けて。それの繰り返し。矮小な自尊心やら羞恥心やら、しゅわしゅわしゅわしゅわ。何のために弾けているのかも知らない。

 私の家の芝生は黄色い。他人の家の芝生もまぁ別に大して美しくはない。世界をそう映してしまったときに、もう目指したいと思う場所もなくなっていった。それでも偶に、理想の私の姿を思い出す。でも、理想はあくまでも理想だから、結局実体をもったことさえなくて、ふらふら彷徨っているだけだから味気ない。

 慢性的不満足と抱き合っているのも、ふらふらしたままの理想として朽ち果てるよりはまぁマシだ。まだ実体がここにあるだけで、それは美しくて喜ばしいことだ。私が脱毛をする理由も、私の心や体の周期も、本音も、あなたは知らなくていい。知らないままでいい。だってあなたはいつまでも私だけの他人。私は今日も元気に天邪鬼なのだから。

 なんて。よかったらまたお話しましょう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?