生きてから死ぬ

 「人の死は悲しいことだ」と、小さい頃から教えられてきた。歳を取ること、死ぬということは、誰にでも訪れることだ。私たちは生きるために、それらから目を逸らさなければならないのだろうか。
 ニュースで訃報が出たとき、「まだ若かったのに」とよく添えられる。私は、長生きしたいと思っているし、周りの人にも長生きしてほしいと思っている。しかし、「まだ若かったのに」と言えてしまう人のことが、あまり好きではない。きっとその人には悪気はなく、素直にそう思ったのだろう。そうだとしても、「誰が亡くなったか」ではなく、「何歳の人が亡くなったか」で死が語られるのは、あまり面白くない。故人を偲ぶということは、その死から目を背けることではなく、その死を受け入れて、時には故人との思い出を語って、夜を乗り越えることだ。確かに綺麗事ばかりではなくて、乗り越えられないような別れもあるのだと思う。悲しければ、泣いてもいいし、いっしょに過ごした時間を思い出して笑ってもいい。どんな死も今ここに生きている私たちにとっては現実だということさえ理解しておけば、受け止め方は自由である。

 「女の人に年齢を聞いてはいけない」と子どもの頃からよく耳にしてきた。私の母は、年齢を聞かれることに抵抗がなかった。年齢にコンプレックスのある人は、今までの生き方にコンプレックスがあるのではないかという疑問を聞いたことがある。それは、真実なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。コンプレックスをもってしまうようなことを言われてきたのかもしれない。もしかしたら、日々寿命を縮めていることが怖くて、それを隠そうとしているのかもしれない。

 生きるということは、命を削るということだ。一秒ごとに、枯れていくということだ。そうやって皺を作ったりしながら生きてから死んでいけるのだろうか。そうだといい。歳を取ることを少しずつでも楽しめる人生は、長くても短くても最高で素敵なものだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?