愛は存在するのか

 愛していたとか、愛しているとか、言ったり書いたり歌ったりしていても、実際にそれを明確に説明出来る人は果たしているのだろうか。いたとてそれは正しいのだろうか。

 辞書で引いても、その曖昧さが輪郭をもつだけのように思えた。それでも私たちは確かに、愛された記憶のもとで生きていたり、愛したいと感じたり、愛に飢えて欲していたりする。
愛するために尽くすという人もいれば、愛するために怒るという人もいる。それは、その人が誰かを愛したいからだ。となると結局、その人は愛することを愛しているということなのだろうか。頭がこんがらがる。でもなんというか、上手くは言えないけど、きっとそれでもいいのだろう。愛したい誰かがいることこそ、愛なのだろう。愛されたいと思うことこそが、それこそが愛なのだろう。

 愛は強い。そして優しい。時に脆くて、儚くて汚い。それが愛だ。あなたにとっての愛は、私にはわからない。人はそれぞれの愛を有している。その誰かの愛を知りたいと思うことが人を愛するということで、その誰かに自らの愛を分けたいと思うこともまた、人を愛するということだ。誰かの愛を分けてもらって、よくわからないと悩んだり笑ったりすることが、何かに愛されるということだ。

 こんな話をしたのは、愛を知りたいと思ったからだ。愛に愛されたいと思ったからだ。愛を愛してやろうと、柄にもなく思ったからだ。

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