頑張り方が分からない

 私は、頑張れと言うのも言われるのも苦手で、言うことも言われることも避けて生きてきた。だけど最近、周りの人達の頑張っている姿を目の当たりにして、頑張るとは何なのかと、考えるようになった。

 「頑張って」は誰かからの期待。対する「頑張った」は、誰かからの評価である前に、自分から自分への評価だ。「今日も頑張った」と言っている人は、頑張るを自分で定義できていて凄い。その上で、頑張ることができていて偉い。

 私は、過ぎたことに対して、あああのとき頑張ってたなと思うことはあっても、現在進行形で頑張っていると思うことがない。それは、頑張らなきゃいけなくなったときが引き際だと思っているからだが、果たして本当にそうなのだろうか。

とは言っても、私もただ無責任に頑張っていない訳ではない。自分の性格を分析した上で、頑張ったと自己認識してしまう程頑張っている状況は危険だと判断して現在に至る。つまり私はもし頑張っていても、頑張ったと自己評価できない臆病な性格なのである。

 ここのところ、もしかして自分も頑張っているのでは?と思うことがある。それは疲労感に起因する。疲れたと思うことが多いということは、頑張ったからなのかもしれない。でも、大して何もしなくても疲れる今日このごろ、頑張って息を吸って吐いてしているということでおひとつ。


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