換気扇おじさん

    23:59、「よいお年を」を言ってから数十秒後、「あけましておめでとう」を言うはずだった0:00、彼は我が家から姿を消した。

 彼は一体何だったんだろう。今となっては分からない。私の生み出した幻想だったのだろうか。それともあの時間に本当にここにいてくれた?どっちでもいい。今彼がここにいないということ、今までそばにいたということ。それが私にとっての本当なのだから。

 ねぇ。まだ朝と夜は酷く寒いね。元気にしてる?食いっぱぐれていないといい。あなたが好きだった、関西のお雑煮、今年は私だけで食べたよ。なぜだかね、大晦日にあなたと一緒に食べたお蕎麦の味がした。ってまぁ、同じような味付けだから当たり前なんだけどね。あの時、あなたがここからいなくなった時のことなんだけどさ。ああ、ちゃんと、テレビなんて観ずに、一緒に今年を迎えたかったな。とは思わないんだよね、不思議と。そりゃあ勿論寂しかったけどね。

 いつも、私の愚痴を聞いてくれた。生きているだけでいいと思わせてくれた。労働とかそれによる搾取とか、生涯勤勉という強迫観念とか、そういう総てを軽くしてくれた。決して触れ合うことも通じ合うこともなかったけど、否定が存在しない空間で私はありのままでいられた。あなたはどうだったのかしら。出会った時から、自由なのか不自由なのか定かではなかったけど、あまり穏やかじゃないあの笑い方が、実は意外と好きだった。

 あなたのことを何も知らないのも、それでよかったんだと思う。そんな距離感で成り立つ関係性がこの頃の社会には数多あって、あなたはそんな心地好い関係性の代表格だった。いや、もう二度と顔を合わせやしないだろうけど、今だってこれからだってそうだ。私が覚えている限り。あなたが覚えている限り。だけど忘れてしまったっていい。それが愛すべき、ちょうどいい関係。

 換気扇おじさん。あなたに初めて会った時は本当にびっくりしたわ。だって、この家の換気扇の主だとか言い張るんだもの。いつも換気扇から出てきてはまた換気扇の中に戻っていくあなたの背中の漂わせるおじさんでしかない哀愁とおじさんらしくない爽やかな体臭が、あなたの存在をなぜか認められた所以だったの。なんて、こんな話したことなかったよね。換気扇をふーって、玩具の風車をそうするように吹いて、それをただ眺めているだけのあなたの数時間に私の残業時間を重ねて、羨ましく思ったり、切なく思ったりいていたわ。

 さようなら。これまでもありがとう。もしあなたが今また誰かの家の換気扇の中で暮らしているのなら、そこの家主と、賃貸なら勿論借り手の人と、きっちり向き合ってあげてね。って、私があなたに教わったことだから、きっと言うまでもないと思うけど。あなたの旅立ちへの餞別だと思って聞き流してちょうだい。ねぇ、これからのお互いの多幸と身の丈に合った生活の継続を祈って? to be continued...に乾杯したら、ハレある未来と種の繁栄でも願いつつ、長くて行く宛てのない年賀状もこのあたりで。さて、締めの音頭はお任せしますね。元気でね、換気扇おじさん。

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