それとも

 窮屈すぎる日々のなかでいつも癒しを求めていた。それはいつの間にかコンプレックスとなって私を襲った。「癒しコンプレックス」そんな言葉、聞いたことがない。でも言葉の前に概念は存在するものだから。だから、本当は皆、昔から感じていたのかもしれない。

 言葉にすることは現実を受け入れるための過程で、せめてもの強さのような、噤んだ言い訳のような、そんな味がする。今日も癒しを求めただけなのに、明日も他愛のない他人に裏切られる。それくらいの窮屈すぎる日々を亡くせないうちは、私のコンプレックスは無様にも続く、のか。

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