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ワタシゴト

 私は生きているだけで価値がある。それなのに働いて社会に尽くさなければいけないのは、私は私にとって価値があるだけだからだ。私にとって他人の存在に大した意味がないように、他人にとって私が生きていること自体にはあまり価値がない。だから意味を見出すために、何かを与え続けなければならない。自分が何かを寄与されるためだけに。
 例えば親は無償の愛を向けてくれたかもしれないが、それは私が産まれてあげて、子どもになってあげたからだ。だから親にとって私が尊い存在となったのだ。出産は命懸けだが、産まれるほうだって命懸けだ。それに、産まれないことを選べない。だから愛されても当然じゃないのとか、親の愛を受けていない人に聞かれたら刺されるのだろうか、昔の人に聞かれると、産んでくれてありがとうと初任給を積めと叱責されるのだろうか。
 社会貢献のために働くと大口を叩いても働くのは所詮自分のためだ。だから正正堂堂、自分のために働けばいい。自分のためにならないのなら働いたってしょうがない。

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