死にたい?

 人々の言う「死にたい」が、どうせポップな「死にたい」だからって許されているこの風潮、どうにかならないものかしら。本当に死ぬ気なんてない「死にたい」だから、別にいいだろう?勝手に言わせておけば。ってなんだよ、お前みたいな奴がいるから。なんて言いませんが。お前のせいで私だって。言ったら負けだから一生認めやしませんが。

 死にたくないに越したことはない。僕だって死にたいんだからあの子が死にたいのも仕方がない?よく言うよ。じゃあ君が死にたいのも仕方がないねって言うと大声で泣く癖に。

 夢にみるほど死にたくもないのに、ただ漠然と空を突くように口や文字に現れる「死にたい」は、蓄積されて、要りもしない私の歴史になる。君の歴史になる。苦しくたってそれは月並みだからどうしようもない。苦しいのなんて当たり前だから黙れよ。ってお前こそ黙れ馬鹿野郎。

 ねぇ、いつかどうせ「死にたくない」と思いながら死んでいく君。毎朝なんとなく「死にたい」と思い続けている君。君に手紙を書いたら読んでくれる?いや、君は、他人の書いた手紙なんかに興味ないだろうな。例え君宛てでも。それなら君が、君自身に手紙を書いたらいい。この声だって、他人の声だから届かないんだろうな。不毛だ。どうしようもない。この文章がまるで人生そのもののように邪魔くさい。それなのに捨てられない。蓋さえしたくない。じゃあどうする?私のすべてを見せてでも、君の途中式が見たい。いつか答えが出たときは、お互いに見せ合おう。どちらも狡ができないように。

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