反芻する

 身を削がれていく感覚で確かに体が軋むのに、鉛筆みたいにわかりやすくカスが出たり短くなったりしてくれないこの体は狡い。曖昧な失望を与え続けるのに完全な絶望はいつも遠ざけて、何かを諦められないように操作してくる。

 何をしていても、していなくても、それなりの疲労感に苛まれるのは、性格のせいにしてしまえば解決するのかもしれなかった。だから今まではそうしてきたのに、神経がピリピリと痛むから、怖くなって心配してしまう。自分から自分への心配なんて他人からみたらエゴで自慰だから、みられないように、みられないように、って。本当は、弱みを見せたくないとかですらなくてただ、夢想家兼現実主義の面倒な生態系である自らの腕の試し時だとばかりに、自問を自答して一生を終えていくことでしょう。

 「歳を取るのは楽しいことであるはずだ」と周りに大口を叩いたその手を擦り合わせて、祈っては幻の噂話を聞いて、悲観を逃避して何も残らない。私は人類の歴史を綺麗になぞっていて美しい。

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