空を掴む

 意味なんてないのに意味にしようとしていた。あの頃の僕らは必死で、走れば辿り着けると盲目に信じていた。願えば意味も後付けできると思っていた。HDDみたいに都合よくなんてないって、冷静に考えれば分かっただろうに。それでも指を組んで祈っていたのは、それが青春だと知っていたから。だからそうあるべきだと、泣くときさえそれに縛られて綺麗に頬を伝わせて、鼻を啜って、満足は不満足に変わるまで寝かせて育んでいたんだ。
 ただ何もしていないだけの日に夜も眠れなくて死にたくなることさえ上手くできずに、大して泣くこともできずに、数十年後を瞼の裏に映して溜め息を吐くだけ。嫌な温度や泥臭さも味わえない平穏でもぞもぞする現実に足を向けても寝られないんじゃあ仕方がない。皮肉を言うほど社会を憎めなくて、殺したいほど他人を恨めなくて、生きている価値を植え付けられた世代だから、死にたいと検索してお助けダイヤルに行き着くこともない。
 平和な日々を過ごしています。毎日は尊いです。共に生きたい相手も、消えて欲しい人も、どちらも居ないから楽で楽でつまらないほどの幸福に恵まれています。こんなはずじゃなかった、とかそういう類いの奴も、くったり煮たから御老人にも優しいと思いますよ。
 先に述べた青春にもどこか赤ペンが入っている頃でしょう。模範青春を示せていたら今この頃、もっとこの年齢なりの悩みに苛まれて、悪態をついたり悩んだりして苦しむこともできたのでしょうに。

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