子どもの成長、私のブラジャー

 子どもは成長する生き物だ。精神的には勿論、身体的に、物理的にすくすくと育つ。「どうせすぐ大きくなるから」とぶかぶかの服を買ったり、大きめの靴を買ったり、兄弟のお下がりをもらったり、したことのある人が殆どなのではないだろうか。

 私は現在22歳の女なのだが、ここ数年で、親戚の子どものように、いつの間にか自分の体が成長した。身長や体重にも多少の変化はあったが、大きな変化は、からだつき、というかおっぱいのサイズである。
どちらかというと細身で身長が平均よりも高い私は、ブラウスのMサイズやTシャツのSサイズを着ることも多い。だが、乳のサイズが変わったことで、着たときのシルエットが変わってしまった。私は、「小さく見せるブラ」の必要性を知ることになる。
あれは、巨乳が外部の視線を遮るためだけのアイテムではない。女がファッションを楽しむ自由を確保し、男からの不義理なからかいを避けるための、至極ありがたいアイテムなのだと実感した。

 さて、冒頭で「よその子どもとゴーヤは育つのがはやい」という話をしたが(某博多系漫才コンビの受け売りです、すみません)、そんな知られた通過儀礼とは違い、私は体験するまでよくわかっていなかった。そこそこ大人になってからの女の変態、それに伴う痛み。パイオツサイズが変わるたびに、ブラジャーは買い替えなければならない。しかもそれに加え、着たい服を着る権利さえ侵害されつつある。女体、非常事態である。

 例えばもし、この胸の脂肪をぷちっと取り外したとしても、果たしてこれはどう処理すればいいのか?に悩まされる羽目になる。
脂肪燃焼、燃えるごみの日に出せばいいのだろうか?それだと、区の指定の半透明ゴミ袋に透かして見えた私のおっぱいが他人を毒してしまっても、謝ることもできないから困る。じゃあ、ベランダから投げ捨てる?「顔も知らない大家に追い出されて、晴れてホームレスデビュー!」なんて、雨は冷たいからキライ。

 おっぱいは尊い。それは、苦難の年輪だからである。ともあれ、あなたに私への理解なんて求めない。
ただ、年に一度は敬ってあげて。なんてね。

 おっぱいの日はやっぱり、081、8月1日なのだろうか。

 「081」は、おっぱい緊急ダイヤル。電話をかける、度胸どころか旨もない。離れて暮らす父は知らねど、揉まれて育つ、子どもと大人。

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