金は遣っても使われるな

タイトルで意気込んでみたものの、実際、私たち現代人は金に使われて生きている。「労働」が「お金」を産む。それは社会の常識だ。

そしてもう一つの常識として、稼げば金を取られる。という現状がある。それは所得税のみに留まらない。生活保護や失業保険の受給者も、「ヘタに働けばお金が取られるから働かない」らしい。勿論、各々の状況によって、適正な額が支払われるべきだ。制度の内容を見直すことには、必要な人にお金が渡らないというリスクもある。そうなるとこれらの社会システムが機能せず本末転倒となりかねない。だから利用者や支える人がお互いを「信じる」しかない。制度の性質上、仕方がないのかもしれない。

さて、あなたは給与明細をみて、その控除額に驚いたことがないだろうか。私はある。友人とお金の話をすると大抵、「社会保険料が高すぎる」という話になる。私もそう思う。だが正確にいうと、「社会保険料をこれだけ払っても医療費の自己負担額は3割なのか」と思っている。そうして少し憂鬱になる。これは消費税の増税やその他の税金等にも言えることだ。「対価」の薄さと、引かれる額が高いのが悪いという「問題のすり替え」は、深刻な問題だろう。

超高齢社会を迎えた日本では、高齢者に有利な選挙が行われているという不満を耳にすることも多い。その格差を改善しようという意見もあるが、その案の可決にはきっと、多くの高齢者の同意が不可欠となるだろう。雲の行き先は見えないが、長寿が疎まれる時代にはなってほしくない。これが矛盾というのなら、その矛盾をなくしていくことこそが課題なのかもしれない。何せ私は長生きしたいし、周りの人にもそうであってほしい。

少し話が逸れたかもしれない。本題に戻ろう。

金は遣っても使われるな。

偉そうに言ったものの、資本主義社会の一般人において、それは到底難しい。

金に使われても疲れるな。

これならどうだろう?疲れたら少し休むといい。存外、この国のシステムは庶民にも優しい。

P.S.最近はキャッシュレス化の波に溺れて、お金が数字の羅列だということが、遂に浮き彫りになってきましたね。皆さまに於かれましては、是非、お金に取り憑かれることだけはないよう願っております。


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