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突然の駐妻卒業と手放した復職への道①

1. ロシアからの帰国は突然やってきた

2月24日。この2日前に久々のnote更新をして意気揚々とコーチとして活動をしていく決意を投稿した矢先、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。
当時、夫の駐在に帯同し、駐在妻としてロシアにいた自分にとっては、コトの重大さをそこまでわかっておらず、子供を幼稚園に送り届け、のんびりと普通の日常を過ごしていました。日本の友人からポツポツとメッセージをもらってもロシアの日常は何も変化がなく、実感がもてないぐらいでした。

しかし、2.3日過ごしていく中で変化が起こり始めた。まず、SNSがほとんど見れなくなったこと。そしてインターネットへの接続がしづらくなりました。なんとかVPNという日本のインターネット接続経由ができる接続する状態。そのうち、キャッシュレスが進んでいるロシアにおいてApple payも使えなくなり、少しずつ日常に不便さが出てきました。
とはいえ、日常はそこまで変わらない。一方で日本からの友人のメッセージは鳴り止まない。今、この国で何が起きているのか。全くわからない状態。
日本のニュースを見る限り、何か大変なことが起きている。それだけはわかりました。そして、あれよあれよという間に夫の会社から「希望制」という形で一時帰国の打診が入り、短期間での「選択」を迫られました。

2.また家族離れ離れになるか、息子と共に帰国をするか。

この時点では、夫は帰国しないことを選択しており、私と息子がどうするか。正直なところ、かなり悩みました。今振り返ると「帰国」の選択が当然だと思われるかもですが、その当時、情報もあまりない。さらに日常は特に大きな変化はなく、本当に今、帰るべきかとても迷いました。

実は、私たち家族はコロナの影響で1年間離れて暮らしていた経験がありました。2020年1月に夫は先にロシアへ、その後4月に息子と私が渡航する予定がその間に発生した新型コロナにより、20年末まで離れ離れでした。
この選択に迫られた22年2月の時点では、私と息子がロシアに渡航してちょうど1年ほど経った頃。
パパが大好きな息子は毎日パパと過ごせることが楽しく、私もみんなが笑顔でいる瞬間にとても幸せを感じていました。

また、家族離れ離れになってしまうのか。。
だからこそ、本当に迷いました。日常はなにも変わっていない。
一方で、ルーブルが暴落したり、日に日に飛行機が飛ばなくなっていました。
小さい息子がいる以上、万が一のことがあったら・・・
自分の一番大事なことは何かに向き合い、帰れるうちにまずは私と息子にみ、帰国をする決断をしました。
4歳の息子は「3人じゃなきゃ嫌だ」と最後の最後まで言い続けていましたが、最後は納得をしてくれました。

家族が一緒にいれることが当たり前ではない。
当たり前の日常が過ごせることへの「感謝」をこの時、心の底から思いました。
そして、ウクライナではこの当たり前の日常が奪われていることを思うと本当に胸が苦しくなります。早く彼らに日常が訪れることを願うばかりです。

3.ロシアを離れ、日本へ

そして、3月5日。私と息子はロシアを離れることとなりました。
ロシアでの1年間が走馬灯のように思い起こされました。サンクトペテルブルグの美しい街並み、優しいロシア人。困っている時にはロシア語のわからない私たちにも関わらず、いつも手を差し伸べてくれました。子供をとても大事にする国で、公共交通機関では必ずと言っていいほど、席を譲ってくれたり、隣に座ったおばあちゃんが息子にかわいいおもちゃをくれたり。
当時は今、この国が戦争をしている現実に、向き合い切ることができませんでした。幼稚園の先生やお世話になっていたドライバーさんとの別れは本当に辛いものでした。他にもたくさんお世話になった方はいましたが、その方達とのお別れもままならないまま、荷物も大量に残し、ロシアの家をあとにしました。

この時点で、ロシアから日本への直行便はすでに飛んでおらず、トランジット2回、韓国経由で日本へ帰国しました。およそ27時間ほどかかりました。(道中、同じようにロシアから日本に帰る方が多く、子連れの方が多かったことが本当にありがたかったです。息子も楽しそうでした。)
PCR検査もクリア(空港で5時間ほど待ちました・・・)し、政府指定の隔離ホテルで3日過ごし、ひとまず実家に退避することにしました。
状況が状況なだけに、夫も会社指示で日本へ一時退避することが正式に決定。私たちから遅れること1週間。日本へ帰国してきました。
日本に帰国し、驚いたことは報道です。ここでやっと自分たちが置かれていた環境を客観的に知ることができました。

いつかはまたロシアに戻れるかもしれない。どこかでそんな思いをもっていいましたが、4月正式に本帰国することが決まりました。
当面は互いの実家で過ごしていましたが、4月頭に貸していた家の借主がたまたま退去したことをきっかけに元々住んでいた家に戻ってきて、現在は、新しい日常が始まりました。

4. 駐妻からの卒業  ~新たな選択~

思いもよらぬ形で駐妻を卒業することになった私。
正直、あまりの突然の出来事で気丈に振る舞っていたものの心が追いついていませんでした。自分が日常を過ごした国は、今は戦争を主導している。なんとも言い難い複雑な心境を抱いていたものの、バタバタした日々や息子のケアに精一杯で、自分の感情に向き合い切ることができませんでした。
そこにきて、突然の本帰国。駐妻になり、自分に向き合い続け、たくさんのインプットをした1年。2年目は、見つけた「自分らしさ」を体現しつつ、アウトプットをすることを決意していた矢先のこと。
日本に戻り、急に現実味が帯びる中、自分がこの先の人生、どんな選択をしていきたいのか。ここでも大きな迷いが生じました。

元々自動車メーカー人事、総合職として働いていたのですが、帯同を機に退職をしていたものの、ありがたいことに復帰できる制度があり、その選択肢を持っていました。(むしろ辞めた当初は、戻るつもりでいました。)
しかし、自分に素直に向き合う中で、果たして本当にこの選択肢がありなのか。大きな迷いが生じてきました。

会社員に戻れば、安定した給料、生活が待っている。
副業だってできる環境。頑張ればコーチングも深めることができる。
でも、本業、副業、子育ての3つを同時にやれるのか。
本当に自分のやりたいことは何?

そして、決断をしました。
「会社員には戻らないことを」

いろんな葛藤があった中、
なぜ、この選択肢を取ったのか。
少し長くなってしまったので、次回のnoteではこのことを記していきたいと思います。

もし、ご興味ありましたら、ぜひともお読みください♪
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