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いつもといつかのお正月

2022年1月1日(土)
「お正月らしさ」は、誰かの努力によって成立していたものだったのだなと、いつもと変わらない朝を迎えて思う。

6時過ぎに、隣で寝ていた子がむくりと起きてくる。年越しも正月もまだ理解していない一歳児には、「昨日なんだかんだで年が明けるまで起きていたから、眠い」なんて言い訳はもちろん通用しない。しばらくすると遊びたそうに「まま!」と騒ぎ出したので、しぶしぶ隣室の夫を呼んで自分も起きる。

いつもどおりの朝。幼児がいると生活リズムを大きく崩せないから、休日と平日の区別すらほとんどない。

テレビをつけると、見慣れたアナウンサーがニュース番組の正月特番をやっていた。朝っぱらからお笑い生放送もやっている。この人たちは元日のこの時間から働いているんだ。私たちの「お正月らしさ」のために。いや、そもそも正月は休むものというのが狭い見方であって、この人たちにとっては、早朝から働くことが正月らしいことなのだろうか?

そんなことを考えながら子にはいつものパンとスープを、自分たちには餅を用意する。喪中を言い訳に、正月らしい食べ物は餅しか用意しなかった。というか餅は、その手軽さから最近年中冷凍してストックしているので、これすらもほとんどいつもと変わらない。

テレビを消すと、かろうじて残っていた非日常感もなくなり、いつしか自分や夫の実家で過ごした正月のことばかり考えている。素朴な家庭料理ばかりだけれど、おせち以外にも年末や正月になると食べるものがいくつかあった。当たり前のことだけれど、それらは必ず誰かが─それが健全かどうかは別として、大抵の場合母が─用意してくれていたんだ。

出産やコロナや喪中や体調不良や、その他いろいろなことが重なり、去年も今年も正月は帰省していない。やっぱり無理にでも帰ればよかったのだろうか? 実家の父の病気のことも相まって、なんだかとても弱気になっていた。

とりあえず気分転換しようと、3人で近所の公園に行く。いつもは我が家と同じような家族がたくさんいる公園に、ひとりも姿が見えなかった時、「帰省すればよかった熱」はピークになる。みんな帰省してるのか、子どもだって賑やかなお正月の方が良かったんじゃないか、云々。

思いを口にできないまま子をしばらく遊具で遊ばせていると、空にぱっと鮮やかな色が浮かんだ。少し離れた広場で、小学生くらいの男の子とそのお父さんらしき人が、凧揚げをしていた。

「良かった、人がいた」という安心感と、「子どもに正月らしいものを見せられる」という思いで嬉しくなる。実家で過ごした正月は否が応でも自分の基準になっていて、それ以外の過ごし方がわからなくなっていた。そして、自分の子にそれをできていないことに罪悪感があったのだろう。

過去の思い出は、私を暖めもするし、同時にそこに縛り付けもする。

*

寂しさと罪悪感を解消しようと、記憶を頼りに実家のお雑煮(偶然、夫の実家の雑煮も私の実家のそれも似ていた)を再現してみたり、子の昼寝中に『岸辺露伴は動かない』を観たり(今回も最高に不穏で完成度が高くて身震いする)していたが、最終的に心が軽くなったのは、母とのビデオ通話での会話だった。

「明日帰れたら帰ろうと思ってたけど無理そうだわ、私もA(息子)も風邪治んなくて」

「えっ? 明日帰ってくる予定だったっけ?」

本当に忘れていたらしい、けろっとした様子に拍子抜けする。そうか、そんなもんか。両親にも寂しい思いをさせているんじゃないかと、思い詰めていたのは私だけか。

じゃあまたね、と通話を切り、いつもどおり、子の相手をする。今までの「お正月らしさ」とは違うかもしれない。でも、これが私の今年のお正月で、日常で、当面の人生だ。結局はやれることを、ひとつひとつやるしかないんだ。思い詰めても、不安になっても、それを忘れたり、誤魔化したり、何気ない言葉に救われたりしながら。

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