親と私【生い立ち】
私の父親は私が7歳の時、家族を捨てて
別の女性の所へ行った。
最初は不倫してるなんて知らなくて
帰って来ないから家族みんな心配して
捜索願いも出して生きててほしいっていう思いが
強すぎて祖母と祈祷に行ったりもしたよ(笑)
それから数週間後、突如住んでる家から
引っ越すことを知り親は離婚するんだと知った。
(父親の両親と同居してました)
当時は小学校一年生だったので
【離婚】の重みもわからず、
『あぁ、引っ越すんだ。好きだった祖父母と
離れるの悲しいな』って思ってましたが
何より父親が行方不明になってからの母親を
見てて『嫌だ』とは言えませんでした
その頃からかな?母親=可哀想な人になった
『大変だから私が助けなくちゃ』って
子供なりに思ったのは今でも覚えてて
天真爛漫だった私はあの時に一度死んだ
元々、思い返せば私はパパっ子で
お父さんが大好きでした。
父親がしたことの重みが当時は分からなかったけど
年齢を重ねるにつれて理解し、憎み嫌うようになり
本気で『死ねばいいのに』って思ってました。
父親と一緒になった女性に連れ子が二人いるのを
知ったときは更に絶望したなぁ
『連れ子は養うのに、実の子は捨てるんだ』って。
と、同時に父親にとって
【私はいらない子】なんだと再認識した。
そして母親を助けるのは私の役割だと思い、
【しっかりしなきゃ】
【母親を困らせてはいけない』と
お母さんの顔色をうかがう日々。
日に日に男性性が強化されていき
甘えられない私が誕生した
男性性が強化されたことによって
生きづらさを感じることはあったけど
『私が怠け者なだけ』って思ってたから
鞭を打ち続けたし、心なんて当然のように無視。
そして限界が来るのが28歳のとき
この時、私は二回目の死を迎えた。
つづく
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