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鬼武蔵 森長可の遺言状を語る


長可の菩提寺 可成寺(岐阜県可児市)

森長可とは誰?

8月最終週に放送された「どうする家康」の小牧長久手の戦いで伝令死?にした森長可
森可成の息子で、森蘭丸のお兄さんにあたり、長く織田信長に仕え、信長の長男信忠の元で荒々しく働いていた人物です。本能寺の変で信長、信忠、三人の弟(蘭丸、坊丸、力丸)を亡くすと舅の池田恒興とともに豊臣秀吉につき小牧長久手の戦いに参戦。その戦いぶりは「鬼武蔵」と信長が名づけるほどイケイケですが、領国であった可児市兼山では城下町を整備したり木曽川を利用し、木材を運んでお金儲けしたりと有能なお殿様でした。
https://www.city.kani.lg.jp/secure/14192/sichou51.pdf
そんな長可が、この小牧長久手の戦いの陣中で書いたとされる遺言状が残っているのですが、その内容に感銘するものがあったのでこちらに紹介させていただきました。

美濃金山城から所領の可児市を望む

長可の遺言状の現代語訳

〇宝物の茶器は、秀吉様に差し上げてください。
〇末の弟の千丸は金山城を継がずに、秀吉様に仕えなさい。
〇金山城は要害の地だから、秀吉様が選んだ人に継いでもらいたい。千丸はダメ!
〇妻は、実家の大垣に戻りなさい。
〇蔵にある残った茶器や刀は千丸に譲ってあげてね。
追伸
〇娘のおこうは、武士ではない京都の普通の人と結婚してほしい。できれば医者で!!
〇お母さんは、秀吉様のもと京都で暮らしてほしい。
〇もしこの戦いで秀吉様もろとも惨敗したら、金山城に火をつけて燃やしてください。
どうかよろしく

分かりやすく現代語訳してみました
名古屋市博物館Webより 森長可遺言

戦場の中心で愛を叫ぶ

奥さん、幸せだな☆いいな。
これくらい夫から愛してもらいたいですう(〃▽〃)ポッ
娘もいいな。
うちの夫、娘たちにこんな遺言残してくれるのかな?
って思います。
千丸には・・若干冷たさを感じますけど、そもそもこの遺言状は尾藤甚右衛門という秀吉の家臣に託していますからね。千丸の賢さを理解しているからこその「千丸に金山城を渡すのは絶対嫌」かなと思います。
叫んでいますね、家族愛(⌒∇⌒)
これから戦場に赴く人の覚悟は、平和ボケの現代に浸かっている私では全く想像がつかないことなので気持ちもわからなくて申し訳ないのですが、やはり家族を想うものなのでしょうか?
自分の実父も戦場で亡くなり、弟三人は本能寺で亡くなり、自分は天下分け目の戦場に出るからとの思いを感じます。


美濃金山城の大手にある石垣
美濃金山城にある石垣(駐車場から写しました。一番お気に入りです)

もう少し掘り下げて解釈してみた


またこれは先日、長久手資料室での展示(徳川四天王展)でみて知ったことなのですが、この戦いで秀吉軍は陣立書をたてており、中世の戦いでは、陣立場をたてることがなかったとのこと。(さらに後で、武田信玄がたてていたとも聞いたので定かではない)たしかに秀吉軍は、織田信雄・家康軍よりも兵の数は多いので勝てそうだけれども中入りを考え行動したということを考えると相当に切羽詰まってたんだと思うんですよね。正直あぶないかも?と考えた気がするんです。
だからこその陣中遺言だったように思うのです。
信長に鬼武蔵と名付けられ、落城は難しいといわれた高遠城を一日足らずで落城させた立役者だとは考えられないくらいこの文章は、ナイーブで考慮が深いです。
金山のお城も家臣も城下にすむ人々も権力者の庇護にあれば安心ですし、誰一人として戦で傷つけたくはない!大事なものは守り通すという男気は、現代にも通じるものがあり感動します。
遺言を書くことによって中入り作戦に対し、迷いをなくすとか気持ちを再度集中させたいという思いもあったのかもしれないです。

女の身である私はどうする?

美濃金山城から掘り出された石垣

きっと心身ともに弱い私は、病室で死ぬ。死ぬときに娘たち二人に会えなくてもいい。現代だと私一人、病室で誰も呼べずにナースコールを待って死ぬのかもしれないな。それでも、長可のように愛を叫びながら死んでいければ最高だなと思います。


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