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76年前に被爆した祖母の生い立ちを知って思うこと

わたしは被爆三世です。

祖母は76年前の今日長崎で被爆しました。
今は一匹のチワワと元気に暮らしています。


祖母は父親の仕事の都合で上海で生まれ、
物心がつく前に引き揚げました。

引き揚げ船に乗れても「機雷(きらい)」という
海中に残された兵器で沈没してしまうことも
少なくなかったと言います。

祖母は無事長崎に帰りましたが
そこで原爆の被害に遭いました。

祖母の家は姉妹が多く
きっと日々の生活も楽ではなかったと思います。

その後祖父と結婚し、
仕事に打ち込む祖父を支えながら2人の息子を育て上げ
4人の孫と1人のひ孫に恵まれました。

その孫のひとりがわたしです^^


祖母の生い立ちを知って思ったのは、機雷も原爆も生き延びて
いままで命が繋がってきたのは奇跡だということです。

こうやって書くと当たり前に聞こえますが、
自分事として強く思ったのです。

祖母だけではありません。

みなさんそれぞれが大変な思いをして命を繋いできたわけで、
今生きている私たちはたくさんの奇跡が重なった命なんだと思います。

そう思うと自分も周りの人も
もっと大切にしたいと思うようになりました。



災害があれば人一倍心を痛めて被災者の安全を願い、
どんな経験も必ず人生の役に立つと強く励ましてくれて、
料理・お茶・お花・洋裁・和裁・家庭菜園...
何でもできてちょっとおせっかいな祖母が大好きで尊敬しています。

年齢もあり常に身体の不調がありますが
これからも祖母が楽しく暮らせることと、
みなさんとみなさんのご家族の健康と幸せを願い記事を締めたいと思います。


最後までご覧いただきありがとうございました!

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