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【気付き日誌】人からどう思われるかではなく、どう見られるか

他人は、目に見えるものをもとにして、ひとを判断する。

私はそのことに三十年近く気づいていなかった。

中身は行動に現れるから、どんなに不器用な人間でもいつかは理解してもらえると、信じたがっていたのだ。

実際は、パフォーマンスが足りないと、人に与えた印象を覆すことは難しい。

故意ではないミスや、普段はしないミスばかりを注視され、悪い人間だと評価されることだってあるのだ。

たとえば。

家事をやる場面で、みんなが動いているときに動かなかったとする。

動かなかった理由は、これ以上人手が必要ないと思ったからで、また、他の家事を済ませていたからだとする。

それでも、人からは怒られる可能性はある。

実際、私にはこれが起きた。

お正月にお節を食べたあとの皿洗いで、それまで全く動いていなかった人から「あんた動かへんのやな」といきなり文句を言われたのである。

私は準備のときにずっと動いていた。そのとき、その人は何もしていなかった。

そして、台所なんて二、三人いればいっぱいになってしまうから、これ以上私が居ても邪魔なだけである。

しかし、相手は私の労働を知らない。知らないから責める。私を見ていた人もフォローしてくれない。こうなると、どうしようもない。

私はひどく驚いたが反論できなかった。

もしかすると、私がこのような行動パターンを繰り返していたせいで、相手は私を「いつも動かない人」だと思い込み、怒ったのかもしれない。

人の目の前でハッキリわかるように行動を取らなければ、このように非難されてしまうことさえある。

いつか気付いてくれるさなんて思って縁の下で頑張っていても、本当に誰も気付いてくれないかもしれないのだ。

見返りが欲しくてやっているわけではなくても、頑張りを知らない人から非難までされてしまっては、ただの骨折り損。

人前で見せていくしかないのだ。
できるだけ、さりげなく。でも確実に。

𓃡 𓃠 𓃡 𓃠 𓃡 𓃠 𓃡 𓃠


他人の心は変えられない。

どう思うかまで、支配することはできない。

しかし、どう見られるか(評価)は、自分の外見や行動という「変数」によって、変えることができる

相手に与える判断材料を変えるってことだ。

心なんてものは、どう頑張っても目に見えない。
したがって、人にとって他人を評価する判断材料となるのは、外側からわかる部分だけなのだ。

ここで多少盛ったりウソをついてたりしていたとしても、プラスの内容である限りは罰せられることはない。

たぶん、みんな分かりやすいものを好む。しかも、いちいち他人全員の中身がどうかなんて気にしちゃいない。

よほど気になる相手以外は、自分が抱いた印象どおりの人間であることを確認しているだけなのだ。

私は昔から、人からの評価を神経質なまでに気にする人間だった。

家族でさえも陰口を言われるのが怖くて、言われたくないときは、人の集まる場所を離れないようにしていたくらいだ。

自分がいなくなったら途端に悪口を言われるに違いないと思っていて、その切迫感は、自分でも変だと思っていたくらい強かった。

それで、他人を観察して他人の性格と心を読み、嫌われない行動を取ろうとしていた。

けれど、つい最近ようやく、それは不可能であるということに気が付いた。

まず、どうしたって、自分の考え方が基準になってしまうからだ。
相手も同じ基準を持っているはずだと考えて読み取り、自分に都合のよいように解釈し、自分がしてほしいことをしてしまう。
すごく疲弊するし、効果もあまりなかった。

そして、誰かが私に好かれようと行動しているとき、私は相手を気に入るどころか、私の心を操作しようとしていることに対して強い不快感を覚えた。

そう、人の心は変えられない。

変えられる部分があるとすれば、自分の第一印象と、それを裏付ける情報の数々

𓃡 𓃠 𓃡 𓃠 𓃡 𓃠 𓃡 𓃠


そこで私は、好感を抱いた人/嫌悪感を抱いた人の言動と外見を分析し、模倣・修正していこうと考えた。

(まだ最近はじめたばかりなので、この段落の内容が薄くて申し訳ない)

①感じのよい同僚から得たヒント

笑顔で両手で書類を渡してくれる、

受け取るまで手を離さない、

話しかけられたら手を止めてこちらを向いてくれる。

この対応に私は感動した。

そして、同じ職場には真逆の対応をする同僚さんたちがいる。

それに対して私は特に何も思っていなかった。

が、一度感じのよい対応を受けてしまうと、相手に悪気がなくても粗雑に扱われているような気がした。

目上の人には失礼にあたるかもしれない。

②誰かのツイートから得たヒント

品の良い人とは、音を立てない人であるらしい。

→扉を最後まで閉める、受話器を静かに置く、ものを食べるときになるべく咀嚼音を立てない

相手に不快感を与えるかもしれない音を極力立てない。

声が大きすぎず小さすぎないのも大事。


どちらの例にしても、行動の結果、『他人』が『不快感を抱かないように』、相手目線での行動が取れているのだと思う。

マナーは、守らないと罰されるルールではなく、自分を有利にしてくれる、自分を守るための有効手段だ。

そう思うと、「自分の目では見えないからオシャレに興味ない」「頬骨がないから笑顔が苦手」等々、逃げ文句ばかり言ってはいられないと思うようになった。

人に嫌われると、ものごとがうまく進みにくくなる。

うまく生きていくには、普段から人前で、「多くの人が取っている、他人への気遣い」を身につけていくしかないみたいだ。

研究(?)はまだまだ続く。


𓃟太文字を使ったら読みやすくなるかなぁと思いましたが、最後に「いかがでしたか?」と書かれていそうなニオイがぷんぷんして微妙ですね𓃟




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