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ユダヤ人である私のあるべき姿

私は17年前に、ユダヤ教に改宗した。ハバドというハシディズム系の正統派ラビのもとで学んだ期間は数年。ユダヤ人になろうと決意するまでに20年かかっている。

日本の方々に馴染みの薄い、この事について、詳しく書く事は控える。ただ、最近、悟りに至る様な心の変化があったので、それについて語るために、ほんの少しユダヤ教やハバド·ハシディズムについて、書かせて頂く。

1981年、夫と2回目のデートの時、僕、ユダヤ人なんだよ、と言われた。私には、その時、それがどういう事を意味するのかわからず、大好きな人の事を知る為、ユダヤ教について学んだ。

まず気が付いた事は、彼はユダヤ人らしい生活を、全くしていない、という事。食事規制も守らず祈りもせず、安息日も守っていなかった。

それでもユダヤ人としてのアイデンティティの強い彼と、ユダヤ教というものに、どんどん惹かれ、この運命と結婚した。

結婚当初、出産までに改宗しようと思い、夫の育った街ブルックリンの正統派ラビの元で学んだ。しかし私は落ちこぼれた。

夫は相変わらず、戒律を守る気は無く、22歳だった私は、英語でラビに質問する勇気も能力も持ち合わせていなかった。

ブルックリンのユダヤ人街で、落ちこぼれとして、暮らすのは辛かった。

私達はユダヤ教から逃れる為に、ハワイに移住した。

しかし、運命の流れに逆らう事はできなかった。

美しいハワイで、気楽に生きていこう、と決意した私の隣に、その人は座った。友人の誕生会に出席した時の事だった。

ハバドのラビの奥様だった。

捨てた、と思っていた、私のユダヤへの情熱の世界の扉が開いた。インターネットやアマゾン以前の時代に、口頭でハワイのラビと奥様から学んだ。

数年が経ち、ラビに、改宗のシステムと子供達の学校のある場所で暮らす為に、ハワイを去るように言われた。

放浪の旅の始まりだ。

私達はフロリダで、ハバドのラビの元で旧約聖書とハシディズムを学び、二人の子供達と共にユダヤ人となった。夫も正統派ユダヤ人らしくなった。

肝心の悟りや、ハシディズムについて語る為の、前置きが長くなってしまった。

続きは、明日のお楽しみ。

質問や知りたいことがあれば、
コメント下さい。


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