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闇の告白


自由を欲する割に、私たちは何を望んでいいかわからない。

コレは嫌だ、アレは嫌だ。

嫌なことならすぐに思いつく。

でもその嫌を嫌と言うことさえパワーを要する。


だから迎合する。。。


milkyというキャラクターは、「わたし」を探求していくうちに

常識や正解を求める人生のタイムラインを降り、

魂の声に従うタイムラインにシフトした。(時々脱線するけどね)

だからハッキリと「嫌だ!」と感じることがあったら自分をなだめすかして我慢することができなくなった。


実は元コンサルの提案でイベントをすることになっていたのに、告知後にキャンセルするという社会人的にはアウトな行動をとってしまった。


無意識だった「嫌」をハッキリと自覚した瞬間だった。


彼はロジカルなセールスレターを書く人だった。


感情とエネルギー任せになってしまう私はライティングにおいては自分の未熟さにフォーカスしてしまい、必要以上にへり下り、指導を仰いだ。

それは無意識の行動だった。

やり取りの中で私に対して「イタっ」と思うような言い方や態度があっても苦笑いし、やり過ごしていた。

昨年末、ある事情で仕事にパワーがけできなくなり、コンサルの終了を申し出た。


しっかり休養した後にコンサルの再開を考えてくれたらいいと言われたが、期限の3ヶ月が近づくにつれ、憂鬱になってきた。

自分の感覚が不正解のような気がして…
自己成長から逃げているように思った。


様々なプロダクトの提案を受けて、面白そう!とは思った。


けれども一緒にやりたいかどうか。
義理を抜きにしたら…
違った。


自分の心は決まった。
コンサルの再開はしなかった。年間契約して納金もしたが勿体無いとは思わなかった。


しかしその後、コラボで座談会をしようという提案があり、何を血迷ったか承諾した。


自分の事を高く評価してくれてはいたから、それに応えなくちゃいけないと思ってしまった。(←奴隷マインド発動)


わたしは「嫌」と感じることをまたジャッジしていた。「嫌」と感じる原因を取り除かないといけないと思ったのだ。


この考え自体が「闇」


「嫌」というのは「感覚」であって、理屈ではない。


それを無理矢理ないものにしようとしていたことにきづいた。


わたしはどんなことでも受容できる。
わたしはわたしを愛してるから傷つかない。

そんな事はない。
自分の感覚は騙せない。


頭で理解するよりも早く答えは出ていた。


元コンサルはそのイベントの告知をすませ、私もわたしサイドの告知のタイミングの波よんでいた。


でも一向に波がこない。告知文が浮かばない。


そこでハッキリした。


自分が惨めに感じていた関係性、信頼と安心を得られないコントロールを感じる関係性。


こんな思いを持ったままコラボしても面白いわけない。


わたしは大人げないけれど一緒にできないと断った。


理由を教えて欲しいと言われたので

正直に答えた。
「指摘されたことに納得できなかった。気軽に相談できなかった。」

と答えた。


その瞬間、見えない重い鎖が外れた。


何という解放感。


自分が勝手にへりくだり、
自分が勝手に怖がり、
自分が勝手に支配されていた。


それでもそれを口にしたことでわたしは自分の尊厳を取り戻した。


元コンサルとの関係性で癒すべき過去を癒すことができた。


人は互いに必要な経験をし、出会いと別れを繰り返す。


そしていつだってバンジージャンプをしてもふかふかのベッドやソファは用意されている。

嫌を嫌だと認めたらそれだけで心は自由になる。


そして安心できる居場所が他にあることに気づく。


努力、根性、忍耐が美徳という古い概念を捨て、


自分の本当の声、魂の響きに忠実に生きるというスタイルが本当の自己成長だと確信する出来事だった。


それが神や大いなる存在への愚痴や憤怒だとしても、


本当の響きに宇宙は返事をくれる。




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