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修道女という生き方

昨年の終わり、兵庫県の修道院の叔母を訪ねた。

叔母が修道女になったきっかけは
若くで亡くなった叔母のお姉さん(私の母の妹)の
臨終の様子とその遺言だ。

貧しい田舎の部落で伝道された
「キリストの教え」を密かに信仰し、
安らかに逝ったときいている。
そして「キリスト教を信仰して欲しい」と遺したらしい。

当時祖父はキリスト教を迫害する側。
祖母は隠れキリシタン。
祖母の着物を仕立て直そうとした時に
襟に小さな「マリア像」が隠されていた
という話を聞いたことがある。

その後私の両親と母の兄弟姉妹は
次々に洗礼を受け、
迫害側だった祖父も改宗したらしい。

なので私は幼児洗礼。
物心ついた時には両親を真似て
「アーメン」と言って十字を切る生活が日常だった。

ところが私が預けられていた保育園は
浄土真宗系(確か…)
保育料が安かったんだと思うw

時々お寺に行って「なむあみだぶつ」
をみんなで唱えていた。

成長するにつれ
少数派な家庭だと気づく。
それが「嫌」だとは思わなかったけれど、
叔母に「シスター(修道女)にならない?」
と言われた時は、激しく抵抗したw

何が嫌だったかというと、

「結婚しない生き方」だった。

修道女になるということは、
一生独身でいること。

家庭を持たずに
「キリスト教の伝道を仕事にするということ」だから。

「無理無理〜」と心の中で激しく拒否って、
顔は笑って誤魔化していた。

そんな修行生活を選び、
誓いを立てて
生涯を全うしようとしている叔母を尊敬する。

それがキリスト教だからではなく、
「信念に一致した生き方」をしているから。

もしも私が血迷ってシスターを目指していたら、
きっと挫折して脱走していたに違いない。

修道女という生き方を選んだ叔母に
後悔はないのだろうか。

今度訪ねる時にきいてみようかな…

そうそう、
修道院によっては外界との接触を一切断ち、
祈りだけを捧げるという団体もあると聞いたことがある。

その時は何て無意味な…
と思ってしまったけれど、
今はその意義が理解できる。

全ては「意識」が創っているから。
霊性を高めた人々の祈りの力は
とてつもない影響を世の中に与えていると確信している。

暖房の風が直接顔に当たって干からびそうなので
今日はこの辺で終わろう。

今年初めてのコメダ珈琲にて。

修道女は無理だと再確認した朝w


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