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【小説】異世界に来てしまった中年男性の悲劇(7)
「さあ、出ろ」
牢屋に入れられて2日が経った。時計のない部屋で、夜眠る時にも電気は消えない。ストレスで下痢が止まらない状態が続いていた。
気持ち悪い。何か、まともなご飯が食べたい。
胃がキリキリと痛む。奥歯も痛い。歯を食い縛りすぎた。
ここで殺される想像をしてしまう。眠れない。
この国の人間にとって亘は、幕末でいうところの新政府軍のスパイなのだ。相手が日本語を話せることにどこか安心していた。しかも故郷の東北じゃないか。そんな油断があった。どこか現実と違う気分でいた。漫画のようなミラクルが起こるのを楽しみに待っていたところもある。だが現に、胃は痛む、歯も痛む。寝違えた首と背中も痛い。
モヤモヤした不安を消し飛ばそうと足を伸ばした。(あ、やばい!)今度は腓返り(こむらがえり)か。迫るように激痛がゆっくりとふくらはぎを握っていく。痛いがどうしようもなく、ただ耐えるしかなかった。
そんな時だった。ようやく看守が現れ、外に出ることを命じたのだ。
嬉しい反面、連れて行かれる場所が処刑場かもしれないことを思うと胃がキュルキュルと鳴った。
「……すみません、もう一度、トイレに……」
ベレー帽を被った女性軍人と銃を担いだ男性軍人に連れられ、亘は鉄格子の外に出た。そしてまた目隠しをされ、そのまま通路を道順に歩かされた。どこかの部屋に入り、パイプ椅子があるのを手で確認させられれと、軍人は静かな声で「座れ」と命じた。
目隠しされたまま銃で撃たれたりしないだろうか、それよりも残酷な拷問を受けたりするのだろうか。いっそ全部夢でした、なんてオチはないだろうか。そんな甘えたことを本気で神頼みするほど、亘は精神的に追い込まれていた。
「座れ」
目隠しを外された亘の目の前には、同じように両手を拘束された人物がいた。簡易テーブルを挟み、パイプ椅子に座り向かい合うのは、窶れた顔の女性だった。年齢は見た目30〜40といったくらいで、長い黒髪は栄養不足のためかバサバサした印象だ。
亘は自分の世界に当てはめてみると、なんとなく北朝鮮の女性兵士と同じ雰囲気だ。
「お前達に面識はあるか?」
当たり前だが、亘には心当たりがないので、「ありません」と答えた。
向かい側の女性も首を横に振った。
軍人は女性の持っていた身分証と、亘の持っていた運転免許証をテーブルに並べた。女性の身分証には『日野智子』と書いてあった。
「日野に訊く、この古田間なる男が持っている自動車運転免許証は、『日本国』のものか?」
日野は首を横に振った。
「次に、古田間に訊く、この日野なる女が持っている軍隊手帳は、『日本国』のものか?」
亘は正直に答えることにした。殺されるにしても、本当の事を話して死にたいと思っていた。
「私の世界には……私の知る日本には軍隊がありません。第二次世界大戦後に解体され、現在では自衛隊という組織が防衛省に置かれています。ちなみに私の世界には、この奥羽越列県同盟共和国も存在していません。北海道から沖縄まで、47都道府県すべて日本という国なんです。私は中学校で歴史の教師をしていた経験もあります。よろしければ、この世界の歴史を教えて頂けないでしょうか?」
銃を担いでいる男性の軍人が、亘の首元に銃を向けた。彼らには好ましくない発言だったらしい。
「聞かれた事にだけ返事をしろ。それ以外の発言は許可していない」
亘がうなづくと、今度は葉巻を咥えた偉そうな軍人がやってきて、亘を別の場所に連れ出す、と言った。亘が恐ろしさのあまり、思わず「処刑されるのですか?」と訊いたら、その軍人は「心配するな」と答えた。その声はどこか優しく聞こえた。
葉巻の軍人は、亘を外に連れ出すと、自家用車と思われる車に乗せた。その間、亘には随分と気になることがあった。それは、彼が友人の父親に瓜二つなのだ。この異世界に自分がいるとするなら、友人の父親がいたとしても不思議ではない。
「どうした? 何か聞きたそうな顔だな」
あまり会ったことはないから確信は持てない。ただ、面影は友人にすごく似てるし、その父親にとても似ている気がする。昔のことだ。はっきりとは分からないが……。
「いえ、その……友達の、お父さんにとても似ているものですから……」
「へえ。うちの子はまだ7歳だがね」
「多分違うと思いますけど、似てるんです。斧寺豊さんの、お父さんに……」
一瞬、軍人の目が見開いたが、すぐに冷静を保ついつもの表情に戻った。そして、先ほどの優しさから一転、今度は厳しい顔つきと声に変わり、
「何故俺を知っている? どうやって息子のことを調べた?」
と、亘に尋ねた。
「息子さん、豊君というのですか?7歳?ああ、やっぱり、やっぱりそうなんじゃないですか」
反面、亘は安心した顔つきに戻り、もう10年以上会っていない懐かしき友人について語った。
「斧寺豊君は、僕の小学校からの友達です。同じ小学校の、同じクラスでした。確かお父さんは有名な音楽バンドのメンバーで、記憶が正しければ、キーボードをやっていたと思います。あんべ俊光さんのいるバンドです。岩手県じゃ有名なんです。豊君とは僕の結婚式以来会えていないんですが、今でも花巻の介護施設で頑張って働いていますよ。僕の世界では……」
「いい加減な事を言うな。息子はまだ7歳だ」
「嘘じゃありません。僕、この世界で小さな僕を見かけたんです。我更生駅で。まだ、小さかった僕が、小学校に向かって、走って行ったんです。今が1991年なら、あの僕も7歳です。きっと」
「……嘘じゃないと、証明できるか?」
「はい。この世界の、7歳の僕に会えば。同じDNAですよ。ホクロの位置も、血液型も誕生日も全部同じな筈です」
確信はない。異世界の自分とでは微妙な誤差が生じているかもしれない。だけど、我更生で偶然見かけた幼い頃の自分を見る限り、あれは正真正銘自分だと分かる。きっと何も違くはない。親も親戚も、みんな同じはずだ。なんの違和感も抱かなかった。
「よし、試しに信じてみよう。名前も同じなんだな?」
「はい、もちろんです」
葉巻を咥えた軍人、斧寺はハンドルをきり、方向転換すると我更生に向かった。
もうすぐ7歳の自分に会える。ワクワクする。
続く
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