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【自意識を棄てる訓練】私は数学の教科書でできます

 ようやく「エッセイ本」を書き始めました。 

「自意識を棄てよ」という町田康先生の教えに従い、占い師になろうと思った黒歴史から書き始めました。私としては恥ずかしいのですが、このぐらいで恥ずかしいと思うのではまだまだと、もっと恥ずかしいことを書くことにしました。

 タイトルに【自意識を棄てる訓練】とあるのは、エッセイ本文ではないことを示しております。自意識には層があり、それを奥深く破っていかないといけないと町田先生はおっしゃっているので、今後も同様の訓練が何度もあるかもしれません。

 さてトップ写真と内容は関係ないのがこのマガジンの特徴だったのですが、今回は関係があります。この写真は昨日、ザコシさんの番組にケンコバさんがゲスト出演した回をYouTubeで見て笑い転げていたときのものです。

 不細工ですね。私は笑顔の美しい人に憧れます。それはおいといて、私はこのお二人の会話を聞いていて、ちょっと恥ずかしくなったのです。まだ恥ずかしさを捨て切れていないなと。

 恥ずかしさを捨て切れていないと恥ずかしがる時点で、恥ずかしさでいっぱいなわけですが、それはいいとして、この二人を見習わなければいけないと思ったわけです。

 一人は裸芸人、もう一人は下ネタの帝王。ならば私も下ネタだと思った次第です。

 短絡的かもしれませんが、下ネタには実は自信があるのです。それは私の伴侶さんが、私の下ネタで笑い転げるからです。しかしそれは家の中だけに封印してきました。

 だって恥ずかしいから・・・ でも、芸術のためには脱がないと・・・

 前置きが長くなりました。そろそろ覚悟を決めます。


 私も人間なので、一人で致すことがございます。これはトランスジェンダーとか関係ありません。特に元々は「男」ですので、ホルモンの関係でどうしてもムラムラすることがあります。

 しかしムラムラしてもレイプは犯罪です。人道的にも許されません。その都度、風俗に行っていたら破産です。パートナーがいればお願いするかもしれませんが、いつもいるとは限りません。そこでひっそりと一人で致すわけです。

 ただ何もなしに致すのは、ご飯だけを食べるようなものです。日本のお米がいくらおいしくても、それだけはなんだか味気ないもの。そこで「おかず」というものが必要になってくるわけです。

 多くの男性はAVやエロ漫画をおかずにします。文学的素養がある人はポルノ小説もおかずにします。私はポルノ小説派なのですが、そんなものが手近にないときもあります。

 実家に帰省した大学生の私がまさにそのような状況の中にいました。今のようにインターネットもありません。

 歳の離れた弟がいたので、彼のおかずを探し出すという手もありましたが、それは兄のプライドが許しませんし、万が一バレたときに兄の権威が失墜するリスクを考えると得策とは言えません。「おまえかて、それでやってるやろ」と言っても、兄の権威は返ってこないのです。

 そのとき、いいことを思いだしたのでした。それは「自分が変態なことをしていると考えるだけで十分おかずになる」ということです。

 よく「女性はカラダ全体で逝くが、男性は脳で逝く」なんてことを言われます。童貞君が焦って勃起しないなんていうのは、もちろんEDなんてことはなく、失敗したらいけないという気持ちが引き起こす現象です。

 かように男性は繊細な生き物なのですが、逆に「いやらしいことばかり考えてるね。この変態が!」などと罵られるとカチカチになったりするものでもあります。

 そこで私は、まだ捨てていなかった高校の数学の教科書を持ってきました。そしてウォークマン用に持参していたカセットテープを自宅のラジカセにセットし、カジャグーグーのお洒落な曲を流しました。

 カジャグーグーを聞きながら、数学の教科書を片手に致す――こんな変態が他にどこにいるでしょうか。

 あの日の気持ち良さ、今でも思い出します。

”Too Shy Shy, Hush Hush, Eye-to-eye”のリフレインの中、空中に浮遊したかのようでした。

 よく逝きそうなったら思い浮かべるイメージなんて話題が出ますけれども、どんなものをイメージしても、それで逝ける変態は自分だけだと思ってしまうと、萎えそうなものほど逆効果になってしまう私です。


 恥ずかしいですね。そのうち恥ずかしくなくなるのかしら?

 ちなみにカミングアウトは相手によってためらうこともありましたが、恥ずかしかったことはありません。

 

自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。