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ポジティブ心理学が拓く未来-パート3

7月20日から23日、バンクーバーで開催された国際ポジティブ心理学会(IPPA)の世界大会の報告を数回に分けてお届けしています。パート1では、会議を通して感じたポジティブ心理学の役割、パート2ではポジティブ心理学の誕生の経緯についてご紹介しました。今回はパート2でご案内したように、ポジティブ教育についてお伝えしたいと思います。


ポジティブ教育とは

国際ポジティブ教育ネットワーク(IPEN:International Positive Education Network)によると、ポジティブ教育は以下のように定義されている。

Positive Education is the application of the science of Positive Psychology and related fields within an educational setting to encourage students, faculty, schools, universities and communities to flourish.
ポジティブ教育とは、児童生徒、教職員、学校、大学、地域の繁栄を促すために、ポジティブ心理学並びに関連する分野の科学を教育の分野で応用するもの。

The focus is on enhancing the wellbeing and character development of students and faculty through the teaching and practice of specific skills within a learning ecosystem where the wellbeing of all is a priority.
ウェルビーイングが優先される学びのエコシステムにおいて、教育や特定のスキルを磨くことを通じて、児童生徒や教職員がウェルビーイングや徳性(性格の強み)の向上に資することに焦点があてられている。

ポジティブ教育とウェルビーイングの追求

従来のアカデミック重視の教育に加え、ポジティブ心理学の科学を応用することで、ウェルビーイングの向上にも資する教育を提供することと言えるだろう。

研究者としてのキャリアの最初は鬱の研究で、そこから学習性無力感の研究を深めたセリグマン博士にとって、世界の若者たちの抑うつの有病率の高さは看過しがたい課題だった。2009 年にマーティン・セリグマン博士がOxford Review of Educationに発表した論文”Positive education: positive psychology and classroom interventions(ポジティブ教育:ポジティブ心理学と教育への介入)”の冒頭で、こんな問いを掲げている。

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質問1:自分の子どもに最も望むことは何か
。二言以内で答えてください。
恐らく、「幸せ」「自信」「充実感」「調和」「いいこと」「親切心」「健康」「満足」などと答えたでしょう。つまり、子どもに望むのは『ウェルビーイング』なんです。

質問2:学校は何を教えているか。二言以内で答えてください。
「達成」「考えるスキル」「成功」「順応すること」「読み書きの能力」「数学」「規律」などでしょう。要するに、学校は、社会で何かを成し遂げるための道具を教えている。
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そして、セリグマン博士はこう続けている。
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しかも、この二つの回答リストには重なる部分がほとんどありません。

I am all for accomplishment, success, literacy, and discipline; but imagine if schools could, without compromising either, teach both the skills of well-being and the skills of achievement. Imagine Positive Education.

学校が、「ウェルビーイングのスキル」と「成功するためのスキル」のどちらかを犠牲にしないで、両方を教えることができたらどうなるでしょう。ポジティブ教育を想像してみてください。
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ポジティブ教育のカリキュラム開発

セリグマン博士は、学校でウェルビーイングが教えられるべきだと、ポジティブ心理学の高校向けのカリキュラムを開発し、実践し、その成果を検証する研究が行なわれた。詳しくは、セリグマン博士の著書「Flourish: A New Understanding of Happiness and Wellbeing(日本語版タイトルは「ポジティブ心理学の挑戦 ”幸福“から”持続的幸福“へ」)を参照いただけばと思うが、このカリキュラムの概要はこうだ。

日本の中学3年生にあたる9年生に、1年間かけて80分の授業を20以上導入するもので、徳性の強みやポジティブ心理学の考え方やスキルを授業で学んだり演習したりして、学んだスキルを実際の生活で応用する宿題なども含まれる。具体的には、一週間、三つのよいことを毎日書きとめ、その意味を振り返るといったエクササイズ、各自が自分の徳性の強みを意図的に活用するエクササイズなどである。

日本のポジティブ教育の幕開け

日本の教育分野におけるポジティブ心理学の応用は、少し前までは学校教育の外側で、子どもの強みを活かすアプローチの普及が中心だった。2021年、内閣府に「Well-beingに関する関係省庁連絡会議」を設置され、その後、今年度から5年間にわたる新たな教育振興基本計画のコンセプトに「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が盛り込まれるなど、学校教育におけるウェルビーイング、そしてポジティブ教育が俄かに注目されるようになった。

新たな教育振興基本計画(令和5年度~9年度)から抜粋

中央教育審議会委員で京都大学人と社会の未来研究院の内田由紀子教授が「計画ポイント解説~ウェルビーイング編~」と題する動画で、教育振興基本計画にウェルビーイングの概念が盛り込まれた背景、日本社会に根差したウェルビーイングとは何かについてなどを、解説している。

この動画の中での重要な指摘は、「個人の幸福と場の幸福は切り離せない」という視点であろう。内田教授は、世界は個のウェルビーイングから場のウェルビーイングを考える時代へ転換していると指摘する。子どもたちがウェルビーイングの知識やスキルを獲得するだけでなく、子どもたちを取り巻く環境の安全・安心、家庭や学校以外の地域の方々も含めた多様なつながりなど、地域全体で取り組む必要がある。また、何よりも、先生たちのウェルビーイングが高くなければ、子どもたちのウェルビーイングは上がらない。

先生が健康で幸せでなければ子どもたちの変化に気づけない

今回のIPPA世界大会の私にとってのハイライトの一つは、公立小学校でポジティブ教育を導入している中島晴美校長、はるみん先生との出会いだ。会場でお会いして話していたら、4年前に東京で開催されたポジティブ心理学のワークショップで同じ会場にいらしたということが判明した。こうした赤い糸のつながりを感じるのもポジティブ心理学のコミュニティならではかもしれない。

4年前の東京のワークショップには、マーティン・セリグマン博士やタル・ベン・シャハー博士、故エド・ディーナー博士といった世界のポジティブ心理学を牽引する研究者と、日本の幸福学やウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司先生が登壇されていた。私は、たまたまイリノイ大学が母校ということもあり、ワークショップの後の懇親会で、ディーナー博士と親しくお話させていただいていた。今回の国際会議ではディーナー博士のご子息で、ポジティブ心理学コーチングの第一人者のロバート・ビスワス=ディーナー博士とお話できる機会があり、4年前のお父様の写真をお見せしたら、自分のパソコンのスクリーンセーバーにいれたいということになり、嬉しいつながりになった。

はるみん先生の著書「ウェルビーイングな学校をつくる」

はるみん先生は、シャハー博士が開発したSPIREというフレームと前野先生の幸せの四因子を平方北小で取り入れ、著書の「ウェルビーイングな学校をつくる」の帯にシャハー博士と前野先生がメッセージを寄せられるほどの成果を出されている。 表紙に記されたように「子どもが毎日行きたい、先生が働きたいと思える学校」づくりを実現し、シャハー博士と再会したはるみん先生。自身の理論を学校教育に導入し、成果が出ていることに、シャハー博士も大興奮だったとお聞きした。


平方北小の令和5年度の学校経営方針から
前野隆司教授の四つの因子「あり・あり・なん・やっ」

平方北小学校の取組みを世界大会で発表

世界大会のポスターセッション会場には、研究や実践の発表が多数掲示されていたが、その中でもひときわ目立ち、多くの方が訪れていたのがはるみん先生の平方北小の取組み事例の紹介だった。


発表ポスターの前で説明される中島晴美校長

児童の98%が「学校は楽しい」と答え、85%の児童の学力が向上している。教職員を対象としたアンケート調査では、「今年1年自身のウェルビーイングが上がったと思う」という問いに「そう思う」と回答した割合が、2021年12月の調査では85%だったところ、22年10月の調査では95%へと上昇した。
た、22年度は95%が「自分の教職・職務における強みを理解している」、90%が「自分の教職・職務における強みを発揮できている」と回答されている。

今年度の平方北小のグランドデザイン 


それにしても、学校運営協議会も巻き込んで、ウェルビーイングな学校づくりに邁進し、これだけの成果を出されたはるみん先生のパワーには尊敬しかない。公立小学校でもここまで実践できるということを示してくださり、後に続く方々にどれだけの勇気を与えてくださったことか。

はるみん先生の取組みについては、以下の東洋経済の記事がわかりやすいので、ぜひ参照いただきたい。また、同じウェブメディアでは、日本の教育におけるウェルビーイングについての特集もしているので、こちらも参考になるのではないかと思う。
教職員95%「ウェルビーイング向上」、平方北小が活用した3つの科学的根拠
子どもたちのウェルビーイングを高めるために 今、私たちができること

世界初のウェルビーイング学部の開設

東京の武蔵野大学にウェルビーイング学部が来春開設される。ウェルビーイング学部という名前の学部は、世界初。学部長に就任する前野隆司教授をはじめ、トップクラスの研究者と実務者が就任予定で、とても楽しみだ。学校教育におけるウェルビーイングの実現に向け、精力的に活動されている前野先生が、6月14日に超教育協会の主催で開催された「教育とWell-being(ウェルビーイング)、幸せについての学問」と題したオンラインシンポジウムで講演された。その際のレポートに多くのヒントが盛り込まれている。

前野先生の講演のキーメッセージの一つは、健康に気をつけるのと同じように「幸せ」にも気をつけながら生きる時代だということ。これは、もちろん、幸せを個人の責任だけに押しつけるものではないが、幸せの研究によって得られた知見を活かすことは、自身が持つポテンシャルを最大限に発揮することにつながる。ポジティブ心理学コーチングも、こうした科学的根拠に基づいており、人材開発におけるポジティブな介入として注目されている。

次に「幸せ」のサイエンスを学校の教育にも取り入れようということ。平方北小で取り組まれたはるみん先生が、科学的な裏づけがあるアプローチには成果が伴うことを示してくださった。研究者と現場の実務者の連携を進めて、未来を担う子どもたちと、子どもたちを支える教員の方々のウェルビーイングの促進に、もっと社会が関心を向ける必要があるだろう。

ウェルビーイング学を体系化し社会を変革していく人材を育成については、武蔵野大学がその扉を開けようとしているが、社会変革のスピードを上げるには、もっとたくさんの扉が開いて欲しいと思う。今回のIPPA世界大会には、世界中でウェルビーイングを研究し、学び、実践するプロフェッショナルが集った。日本からも研究者や実務者の参加はあったが、招待講演者として登壇された日本人は、心理的な豊かさの研究をされるシカゴ大学の大石繁宏教授と、メキシコのテクミレニオ大学のMasaya Okamoto講師のお二人。研究業績や活動は高く評価されているが、日本ではあまり知られておらず残念だ。

日本で設立されたウェルビーイング学会が2022年に発表した「Well-being Report Japan 2022 ウェルビーイングレポート日本版2022」で、前野先生が
こう締めくくられている。

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日本はLand of Peace and Harmonyである。産業化(工業化)以降の右肩上がりの時代から、心の豊かさと成長を目指し、世界のウェルビーイングを願い、行動する国。自分中心になりすぎる懸念もある個人主義と、自己犠牲になりすぎる懸念のある集団主義という分断を超えて、自分と他者のウェルビーイングを第一に考える世界を構築すべき時代に、日本は和の国として主要な役割を果たすことができるのではないだろうか。
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