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『赤いろうそくと人魚』というお話

4連休初日。予約していた銀座のお店に移動する途中でたまたま新潟のアンテナショップに立ち寄りました。店内の奥の方に置いてあった和ろうそくを見て、ふと思い出したことがありました。

新潟をはじめ、東北から信越にかけての寒い地方の伝統品としてよく見られるのが、絵付けをした和ろうそくです。雪で覆われる長い冬に、仏壇にお花を添えられないことから、ろうそくに花の絵を描いてお供えしたのが始まりだそうです。この絵ろうそくを見ていつも思い出すのが、小川未明が書いた『赤いろうそくと人魚』というお話なのです。

初めて読んだ小学生の頃から、妙に惹きつけられて大好きなお話でした。子どもが好きと言うにはちょっと似つかわしくない?... 暗くて怖い、ちょっとおどろおどろしいお話です。私の周りではこのお話を知っている人がほとんどいない...という、若干マイナーなお話?なのですが、私はどうしてこうもこの物語が好きなのか?

同じように人間と人魚が出会う設定で、アンデルセンの『人魚姫』がありますね。こちらは有名で、知らない人の方が少ないんじゃないでしょうか。こちらも悲しい結末の物語ですが、この人魚姫の物悲しさとはまた違った世界が展開されています。

最後には人も町も消えて、静寂だけが残る。このラストの情景が、恐ろしくも切ない、何ともいえない不思議な感情を呼び起こすのです。

赤いろうそくを灯し続けたのは母親の怨念だったのでしょうか。海を荒らしたのは神の怒りなのでしょうか。何が正解で、何が間違いだったのでしょうか。誰もが幸せになりたいと願いながら、それぞれの闇を抱えながら生きていく世界。

おそらく一番わかりやすい「悪者」は、老夫妻をたぶらかした香具師(やし)でしょう。しかし香具師の商売は、見物客がいてこそ成り立つものであり... 異形の者を物珍しく見物する客と、動物園の動物を見て喜んでいる私たちと何が違うのでしょうか(動物園は単に動物たちを愛でるだけでなく、大切なことをたくさん教えてくれる場所だと思っています。人間も多様な生き物の中の一種でしかないということを再認識する上でも)
少し飛躍して考えると、人間同志であっても、見た目の違いや、考え方や主義が自分とちょっと違うというだけで、争いが絶えないこの世の中。標準的な善や悪も立場の違いであることが多く、私たちが今、普通に暮らしている中にも、罪は転がっているように感じます。何が正解で何が間違っているかなど、正確に判断できないように思うのです。

娘の幸せを願うという理由で、他人に責任を丸投げしてしまうのは母親の情であり、身勝手さでもあるのではないか。老夫婦の親切心と愛情によって大切に育まれた娘の平穏と孤独と不自由さ。穏やかな暮らしの果てに、香具師の口車に乗ってしまう老夫妻の弱さ、香具師の野望と破滅。それぞれの立場に明と暗があり、誰もが幸せを求めながら、不幸を生み出してしまう。そもそも人は何がどうあれば幸せなのだろうか? 

人魚の娘はその後、どうしたのでしょうね? 難破した船とともに命が尽きたのでしょうか? それとも海に戻ったのでしょうか? 人間に育てられた人魚が海で生きていけたのでしょうか? 自由を手にした人魚は幸せになれたのでしょうか?

町に繁栄をもたらした海の神様は、衰退していく様をどうご覧になったのでしょうね。

すべての人に光と闇があって、すべてはいずれ消えていく。そんな無常に、私はしばし現実逃避がしたかったのかもしれません。

↓青空文庫と、今回見つけたとっても素敵な朗読作品。


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