『本心』

「文学の森」のブログ掲載分

「身近なテーマ」
 『本心』を読み、次々と出てくる身近な問題に、日ごろ私が考えていることと重なり、親近感を覚えた。『本心』に登場する人物は、どこか「普通の生活」からずれてしまっている側の人たちであり、朔也もそうである。現代からそう遠くはない2040年の日本は、今よりも更に環境は悪化していて、地球温暖化が進み、若者は家にこもりがちで仮想空間にふけっている。
 「健常者中心主義」「格差社会」は進み、強者に都合のいい社会。ここに登場する人物はどちらかといえば弱者。イフィーは、経済的に成功した立場ではあるが、車椅子生活である。かつて自分は何のために存在しているのか、そう問われても答えが出ず、考え悩み続ける人たち。そのような弱者に目を向けながら、他にも様々な問題を織り交ぜて物語は進んでいく。ぎりぎりのところで暮らしている人たちが、関わり合い成長していく姿を、平野さんの視点で優しく表現されていて、気持ちが温かくなった。鍋の場面や日比谷公園の散歩、お笑いライブ、骨とう品店での誕生日の買い物など、とても好きな場面で、三好に勧められた「縁起」アプリの場面は、文字を追うごとに臨場感を得ることができた。

 朔也は、三好やイフィーたちと関わることで、自分の「方向性」を徐々に見出していく。


 私自身、若い頃は悩み、「死」を表現する文学に憧れた時期があった。年を取るにつれ「死」は確実に近づき、「生きること」の尊さを感じるようになった。若い人の死はつらい。「生きづらさを感じている子どもたち」に寄り添いたいという思いがあり、かなり遅い決断だが、資格を取って今の仕事をするようになった。そして、それは常に自分自身を振り返る機会でもあった。

「自由死」にはやはり反対すべきであり、これからの時代、芸術家たちが様々な表現で、生きることの尊さを発信してくれたらと願う。

 朔也がティリと関わっていくなかで、福祉の仕事に就きたいと思うようになったことは、朔也があたかも現実の世界で生きている青年と錯覚してしまうほど、私にとっては身近な展開で嬉しくなった。

 朔也たちが、お笑いのライブで「方向性」について考える場面には親しみを感じた。私もお笑いは好きで、私が推している芸人さんのネタに人生観を感じることさえあるから。また、ところどころに鳥が出てくる場面も。

 朔也のところに2羽の雀が来る場面では、これから朔也がティリを始め、人のために生きていく未来を暗示させてくれる。

 「現在を生きながら、同時に過去を生きることは、どうしてこれほど甘美なのだろうか。…現在を生きながら、同時に未来を生きることもまた、甘美であってくれるならば…」読後の今も、この文章に陶酔している。

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