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難しいことを難しくいう人

難しいことを難しくいう人がいる。

「懐疑的でもあり猜疑的でもある」「社会的な階級では」「能動的関与に基づくと」とかいう日本語なのに何を言っているかわからないものをはじめ、

「エビデンスとコンセンサス」「ブラッシュアップ」とかいうカタカナで聞く難しい言葉も最近増えている気がする。

社説とか論文でこのような難しい言葉を書くのなら、読んでいる人もその能力に追いついているのだからまだしも、

個人的なブログとかSNSで難しい言葉を使う人もいる。

あとは会社の上司とか同僚が、

「それってマイルストーンはどうなっているの?」「明日リマインドして」とかひたすらカタカナを使いたがる人もある。

私は、難しいことを難しくいう人にイライラしてしまう。

会社なんて報連相が大切なのだから変なカタカナ使って理解できないよりかは、日本語できちんと意思疎通すればよいのに。

ブログにわざわざ難しい言葉を羅列して、自分は満足かもしれないけどそんなの誰も見ないよとかも思う。

以前に、能力の低い人ほど難しい言葉を使いたがるというものを見たことがある。

自分の能力が低いことを見られないようにあえて難しい言葉を使って自分の能力の低さを隠しているのかもしれない。

能ある鷹は爪を隠すように、能がないとあえて立派でもない爪を見せたくなってしまうのが悲しい人間の性なのかな。

逆にとてつもない難しいことをすごくわかりやすく、簡単に説明する人もいる。

例えば池上さんは社会のたくさんの出来事や難しい経済のことをとても簡単に説明していると思う。

経済なんて全く興味がない私でも、池上さんの本はすらすら読めてしまうからびっくり。

本当に頭の良い人とは難しいことを簡単に説明できる人だと思う。

物事の本質をすべて理解しているからこそ、わかりやすく説明ができるのだ。

逆に理解が追い付いていないと、部分的なものだけ拾って難しい言葉で理解しようとしてしまうのではないだろうか。

私も最近文章を書くようになって、難しい言葉はあまり使わないようにしているし、それ以前に知らない言葉も多い。

文章を書くのならきちんと言葉の意味や単語を理解しておいた方がよいのかと思いもしたけど、結局自分がいつも使っている言葉で文章を書くのが一番良い。

かっこつけたり、見栄を張ったりしないで思ったことを書くことに決めた。

だからその言い回し違うとか単語の意味がわかってないのでは?とかもあるかもしれないけど、特に私は気にしていません。

難しいことを難しくいうのではなく、人間の思う難しいことを簡単にかいたり、人に読まれたりするような文章を書いていきたい。

私は心からそう思います。


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