語学オタクのアラ還主婦と三越とAEONの話
おはようございます。先日卓上の温度計が37.740.7℃を指していました。
ゾッとしますね。暑すぎて寒気がしました。
もう、何が何だか・・・。
今回はちょっと前にお出かけした松阪牛の本拠地、松阪市の話。
なのに三越とAEONの話?
何が何だか・・・。
暑すぎるせいですね。
ところで、
突然ですがクイズです。
「おぬしも悪よのぉ」というセリフとヘッダーの写真(ロンドンのトラファルガー広場)にあるライオンから連想されるものはなんでしょうか???
はあぁ?
ますます訳がわからん。
「お主も・・・」のセリフを吐くのは大体悪代官→お代官様と一緒に大体悪いことやってるのは越後屋(時代劇の見過ぎです。ごめんなさい!)→越後屋といえば三井越後屋→短くして三越。くだんのライオン像は入り口に座ってるやつですね。
はい、正解は三越百貨店です。(くだらないクイズですみません!)
で、今回お出かけした松坂市は三越百貨店の前身であった越後屋呉服店を創業した三井家の発祥の地なんです。
そうだったのか。全然知らなかったよ。学校で習っていたのかなぁ・・・。
江戸時代、商売といえば御用聞のように注文を聞きに行って、後で商品を届ける。代金はお盆とお正月の年に2回だけ集金に行く。という掛け売りシステムが主流だったようです。今でいう百貨店の外商のようなことを普通にやっていたわけですね。どうしても人件費が嵩むので商品の値段は高く設定されることになりがちだったとか。時には売る相手によって値段を変えることもあったというから驚きです。
で、三井家の三井高利氏が初めて、自分の店の店頭で商品を売り、掛け売りを廃止して、現金掛け値なしという現金でその場で決済をする画期的なシステムを導入したそうです。商品に値札をつけるという今では当たり前のこともこの時に取り入れられました。
この新しい商売がヒットして三井高利氏の越後屋呉服店は大儲け。豪商と称されました。
三井家の越後屋だから三井越後屋。で、三越。今の三越百貨店の前身ですね。
それがご縁で三越伊勢丹ホールディングスから松阪市にライオン像が贈られたそうです。この話はアートアクアリウムの記事でも書きましたね。
ライオン像の詳細はこちらで↓。
ほほぉ。
日本でも有名な百貨店がこんな地方都市で始まったのか。しかもそのまま江戸時代からずーっと商売を続けているって!
驚いたと同時に、ちょっと誇らしくもなりましたね。
三重県、なかなかやるじゃん。ふふん。
小売といえば、今をときめく巨大スーパーを展開しているAEONグループも三重県と深い縁があることをご存知ですか?
AEONという名前になる前はJUSCO(Japan United Stores Companyの略)と呼ばれていました。
今のAEONのように大規模ではないけれど、1階にスーパーマーケットがあり、2階以上に専門店が並んでいる、という形態をとっていましたね。当時としては画期的。JUSCOへ行けばなんでも買える!、と週末は家族で出かけたものです。
さらに、そのJUSCOの前身は三重県四日市市にあった呉服屋岡田屋です。
出た!呉服屋!
そして創業家の岡田家の末裔が、立憲民主党の岡田克也氏です。
明治生まれの私の祖母はJUSCOのことをオカダヤさんと呼んでいたものです。当時は不思議だなと思っていましたが、そういうことだったんですね。
あのAEONグループの始まりは、なんと三重県四日市市だったのか。
三重県、なかなかやるでしょ。ふふふん。
でもね、
三越伊勢丹ホールディングスもAEONも現在本社は三重県にはありません。それぞれ新宿、千葉市に拠点を置いています。
そこはちょっと残念、かな。三重県、もうちょっと頑張って欲しかった・・・。
最後に、呉服屋つながりでどうでもいいことを。
私の実家も祖母が子どもの頃は呉服屋を営んでいたそうです。一人娘の祖母は跡を継がず、家は火事で丸焼けになり、戦後すぐのもののない時代に建て替えた家が現在の実家となっています。ショーケースとして使っていた棚だけが今でも残っています。
ついでなのでもうひとつ、どうでもいいことを。
私が働いていた英会話学校は、このスーパーと同じ名前でしたね。発音はビミョーに違いましたけど。あぁ、本当にどうでもいいや・・・。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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